2012年11月17日土曜日

カナダよりヨーロッパの旅を終えて

プラハ

今から半年ほども前の事になる。日記をつけてなければ何も思い出せないほど時間が経ってしまった。本当に遠くへ来てしまったんだと、地球の裏側にある旅の思い出を振り返り、時間の経過を肌に感じている今日だ。

とりあえず今はヨーロの話をしよう。
始まったのはプラハからだ。知り合いもいない。どんな国なのかさえ知らない。言葉も文化さえも調べる事無く、旅路を進めて行く。そんな不安と興奮を抱え旅をする自分は何者なのか、答える事のできない疑問を抱きながらも、旅路も、時間も、車窓を流れる風景のようにモーションブラーを描きながら過ぎ去って行ったのを憶えている。
それにしてもドレストンを走る列車からの景色は感動的だった。

5月8日、昼時だったろうか街に着いた。第一印象はこんな物かと大通りを迷子になりながら思った。宿探しに5時間以上歩き回ったのを憶えている。
ホステルが決まり、日も暮れてしまった。
日本人の旅人タカと同室になり、その日は一緒にプラハのビールを飲み明かし、旅について語り明かした。

翌日、タカと共に街を歩き、プラハの街に感動した。今まで見てきた街の中で指折りの美しさだった。何百年との歴史を感じさせる建物が街中を覆い、ヴァルタヴァと呼ばれる川が街の中心を流れる。それを横切るいくつもの石橋、中心街にあり金ぴかに輝く天文時計、その横に圧倒的に位置する大聖堂、大口をぽっかり開けながら街を歩いて回った。気に入ったのは特に街の雰囲気と小さな通り道。全てのレストランやカフェはとてもおしゃれで、街中のデザインの何から何までに惚れ込んだ。
プラハは独特な色も持っていて丘の上からの景色も感動的だった。ほとんどの建物の側面は白い石造りのようで、屋根は落ち着いたオレンジ色でまとめられている。
雰囲気をもたらす路面電車の騒音、道ばたに現れる異様なデザインの銅像やおきもの、レストランで見た絵画、路上で見たストリートバンド、どれをとっても最高の感動を憶えた。日本で建築を専攻するタカに先導され時計台に登ったり、有名な建築物を案内してもらい、また一つ旅の仕方を学んだ。

夜はホステルに戻り、バーでたくさんの旅人と出会った。タカとはワンピースの話で盛り上がったりも下。深夜を回るとプラハで有名なクロスクラブというクラブに行った。
鉄のガラクタでデザインされているそのクラブにもまた圧倒された。それはまるで電車や車、飛行機や戦車、あるとあらゆる鉄くずが集まり、集合体として形をなしている化け物のような漂わぬ雰囲気を過持ち出し、その場を創造しく盛り上げていた。まだ水曜だったので特に何のイベントも無くひたすら飲んで夜は過ぎていった。

次の朝は早めに起床し、翌日会ったオーストラリア人達とセドレツ納骨堂と言うところに行った。プラハから電車で一時間くらいだったか、セドレツ納骨堂は外見からは普通な教会がお墓の間に建っているだけのようだったが、中に入ってみて驚いた。そこは4万人以上の人骨が埋葬されているらしく、さらに一万人分の人骨がその礼拝堂の装飾として使われているらしく人骨の数に圧倒された。特に人骨で作られたシャンデリアにはそれにしかない不気味な印象と空気を吹き出し、冷たい感動が肌を流れた。
それから皆で近くのバーで一杯、ホステルへと足を向けた。

夜はまたもクロスクラブ。木曜なだけに光り輝く照明と鳴り響く音楽に酒は軽々しく腹に流れ込んで行った。
チェコのビールは安くてうまい。スーパーで買うと500mlが五十円くらい、クラブでも150円くらいだったろうか、簡単に手が届く。そして何よりうまい。たぶんヨーロッパで一番俺好みの味だったと思う。酔いは回りに回って、自分を見失う。クラブはとても広くステージは地下にもいくつかあり、歩き回った末、トランペットがドラム&ベースに合わせて狂うDJを発見。夜中弾け回った。

二日酔いで起きた朝は一人でプラハ観光。歩き回った末、レノンウォールを見てホステルへと帰った。その夜もクロスクラブへと足を運び酔いつぶれた。

三日酔いはさすがにこの年になるとこたえた。一日をホステルでゆっくりと過ごしその日は街へと飲みに行った。今では誰と飲みに行ったのかさえ忘れてしまった夜の事である。

頭を抱えながら起床した次の日は物の見事に予約していた、ウィーン行きのバスを乗り過ごした。仕方なく電車に走り込む。目的地はオーストリア、ウィーンだ。

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