2011年8月30日火曜日

フリンジフェスティバル エディンバラ

 ブリストル

次の日は友達とセントアンドリュー公園にバーベキューをしに行った。疲れきった体を公園の芝生で休め、一日中ぼんやり過ごした。火曜の午後だというのに、その公園は家族ずれや若者で賑やかだった。




エディンブラ

飛行機の予約をかなり前にしていたので、こんなに忙しくまた旅が始まるとは体にもたれた。ジョンに空港まで送ってもらい、また新たな旅路へと足を運んだ。
一時間前だったがそれは国際便だった。いちおビザがいらないし、貨幣も同じ、バスでも行ける場所なのにそこはスコットランド。甘く見ていた。添乗員に間に合わないから走ってと。慌ててゲートをくぐるにもそこには大行列。警備を通り越すとチケットに書いてあったゲートナンバー”6”に向かう。目の前だったが、場所が変わっている。全く正反対の場所となり20分も空港を走り回った。最後の乗客となったが間に合った。飛行機は時間通り出発。危機一髪だった。

空港からバスで街に向かう。世界遺産にも指定されているその街の光景は圧巻だ。城壁に囲まれたお城が堂々と高台に建ち、並び行く街の景色は落ち着いた色の石段で固められ、何百年という歴史を感じさせてくれる。

ここで疑問だが、日本人でコーチサーフィン (Couch Surfing) を知っている者はどのくらいいるのだろうか。これはインターネットサイトの事で旅人の中では、むしろヨーロッパではかなり知名度の高いサイトだ。旅をする者にとってはお勧め。その仕組みとは、メンバーになった者どうしで宿泊先を提供したり、されたり。行く先々で泊めてくださいと赤の他人に頼む事のできるサイトだ。宿代はとても高い。とくにヨーロッパは。着いたとしても何をしたらいいかわからない。隠れた名所や、地元のパーティーなどに参加できたり、観光とは違った経験ができる。そうやって旅人通しで助け合ったりできるサイトがある。エディンバラではちょうど街中でフェスティバルが行われていたので、なかなかあてが見つからなかったが、幸運にも最初の二日間だけ泊めてもらえる場所を発見した。予定は9日間滞在、とりあえず考える事は後にしてエディンバラに到着した。
街に着くとコーチサーフィングのホスト、リトアニア人のヴィクが迎えに来てくれた。家に案内してもらい荷物を預ける。おしゃれなカフェに連れてってもらってその日はなんかく過ぎた。

次の日ヴィクは仕事を探しに出て行ったので一人で街を探検することになった。それにしてもスコットランドの天候もかなり悪い。夏だというのに寒く曇りのち雨。街が石造りなだけ、よりしっとりした感じが気分を襲う。しかしながらエディンバラの街は英国の独特の雰囲気により、天気もさながら散歩をしたくなる。迷い込む道にはいつでも、おとぎの世界に連れてかれるような路地や、トンネルがあり気分が高くなる。勧めによって国立博物館を訪ねる。かなり広く迷子になったが、英国の歴史や、新しい技術などの展示物を見てかるく二時間が過ぎた。それからさらに数時間歩き、迷いに迷った末、ヴィクの家に辿り着いた。簡単に夕食をすませ、目的だったコレスポンダントのコンサートに向かった。Voodoo loungeで深夜から始まったコンサートは感動的だった。舞台裏にまで行きパフォーマーとも挨拶を。朝方までエレクトロスウィングの音で踊り明かした。意外にもここで一人日本人とも出会い次の日お茶を共に。

この日からは泊まる場所が確保されていなかった。ホステルを見たが十四、五人部屋で一日30パウンド近く、とてもじゃないが払う気はしなかった。考える事は後にして街に向かう。その日からは世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、フリンジフェスティバルが開催されていて街中が、観光客と路上パフォーマンスによって埋め尽くされていた。天気も青空がときどきあり、街はとても賑やかだった。コメディーショーをいくつか見て、夜はボンゴクラブへと足を向けた。その夜のクラブのテーマはConfusion is sex。みんな派手な服装やFetishなドレス、オカマさんや、レズビアン、下着のみの人たちから、妖怪にいたるまでいろんな格好で盛り上がっていた。幸運にもDJの人らと仲良くなり、ビールをおごってもらったり、CDをくれたりしてくれた。ダンスホールにはストリッパーからパフォーマー、ダンサーにシンガー、いろんなことが起こっていた。怪獣と妖怪にはばかれたホールを抜けるとステージには恐ろしい化粧をした化け物が踊っている、光り輝くミラーボールが曇りきったホールを突抜け、踊り狂う猛獣達を瞬間的に照らし出す。飾り物によって創られた人格の正体は、社会に隠された個々の本性をあらわに曝しだし、暴露された煩悩は狂喜に掻き立てられ、そこにいる者達は自分本来の姿への快感に満たされていた。ハウスパーティーにその後向かい、宴会は次の日の昼まで続いた。

誰の家ともわからず迎えた夕方は、パーティーの跡形だけを残し、静けさが部屋を充満していた。その家に住んでいる人に会って、もう一度挨拶。泊まっていいかと聞くと、今からロンドンに五日間仕事で行くから部屋を使っていいよと、快く引き取ってくれた。もう一人のシェアメイトも起きて来て、挨拶。仕事に行くからと出て行ってしまった。人がいいのか、信じられたものなのか、一週間の住み場は幸運にもそこで落ち着いた。とりあえず二日酔いの回復のためその日は一日中だらだらと過ごした。

次の日も雨。かなりの雨の勢いだったので家で、ギターを弾いたり、ブログを書いたり、絵を描いたりして過ごした。

少しばかりの青空と、温かい紅茶で迎えた次の日、街にフェスティバルを楽しむため向かった。友達がブリストルからエディンバラまで遊びに来るという連絡もあり、その日の予定は決まった。オーストラリアからの知り合い、カーラと会い、その友達ピートとメーガンと街で会い、Old city New town の間にある公園で一時間ほどのんびり過ごし、その日の予定をたてた。オーストラリアからのコメディアンがいくつか来ていて、それを見に行く事になった。街は青空が垣間見えるおかげでストリートパフォーマーや音楽家によって賑やかになり、歩き行く観光者たちによって路上は埋め尽くされ、活気に満ちた街に戻り、愉快な一日が始まった。なににしろ、世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、街中がフェスティバルの会場と化しているので、その範囲は相当広い。ウロウロしたあげく、一つパフォーマンスに遅れ、走ったあげく、入場を却下され、5ポンドのチケットは一つ無駄になくなった。でも皆で久々の運動だと笑い、次のショーからは気をつけようと、それからは事前に場所の確認をするようした。いくつかのショーを見た後、日本で5年間コメディーをした事があるというオーストラリア人のDave Eastgateに会い、話をしたあげくただ券を二枚くれた。カーラと見に行く事にし、時間を潰した後、見に行ったショーはそのフェスティバルの中で一番おもしろかった。それから何杯かビールを共にし、一日は楽しく過ぎた。

次の日も四人集まり、街を回り、コメディーショーを楽しんだ。その夜、カーラ達は次の日の出発が早いからと、夕日とともに寝床に帰り、俺も家路につき、サディックに電話をすると待ちに出ていて、ショーを見ているという。鍵を持ってなかったので一人では帰れない。とりあえず中心街に向かいサディックを待つ事にしたものの、どこにいるのか、いつショーが終わるのかもわからない。すると突然、目の前にサディックが驚きながら、今、途中休憩だといい、ビールを片手に現れた。たぶん中に入れるからと、ショーに連れていいてもらうと、警備員がいたがどうどうと通り侵入成功。ショーが始まっていた。驚いた事にそれはオカマショー。たくさんのゲイがパンツ一丁で踊ったり、曲芸をしていた。しゃべりもおもしろく、笑えた。ただ少し行き過ぎた場面もあり、驚きに圧倒された。それから二人で、Cabaret Voltaire venueに向かい、Drum & Bass のコンサートを楽しんだ。
迎えた次の日も雨となり、ブログやギターに時間を潰し、Brighton への旅路へと準備をした。あっという間に過ぎた、九日間だった。

2011年8月24日水曜日

ウーマッドフェスティバルの経験


休む間もなくフィンに呼び出された。後、一日は休めると思っていたがブリストルに帰って次の日からウーマッドフェスティバルの準備に必要だと呼ばれた。電車で途中まで向かいジョンに車で迎えに来てもらった。途中夕食の買い物のため小さな町に立ち寄った。イギリスの地方はとても古風で落ち着きがある。建物をそのまま残し伝統的な雰囲気を壊すまいと地域の人たちが力をいれているからだ。夕日を前に紅く染まる、どことも名の判らない小さな通りは、時代を超えてそこに存在し、自分が誰なのかを問いて来た。答えを知る事もできない自分に価値観を失わないように目的を持ち、その先へと旅路を進める旅人の絵を自分の中に描いた一瞬だった。
開催地に着くとフィン、ジョー、ラフがすでにカフェのマーキーを建て終えていてほっとした。労働作業は今の俺にはきつかった。夕食を終え、明日に備え早めに寝る事にした。

早朝から忙しい日々が始まった。俺の仕事はアート部門、好きな仕事だから楽しかった。皆がキッチンの整備をしている間、看板四つの絵や、フォントの修正、そしてカフェのフロントカバー。約、縦1.3メートル、横6メートルの大きなベニヤ板。フィンは、なにか描いてくれと題材はほぼ自由。ただし、制限時間は一日間。慌てながらもデザインを考慮、残されたペイントをどう使うかなどで悩みながら、夜中10時頃、全てを終えた。傑作とは言いがたいが皆満足してくれてほっとした。ヴォッカを少し嗜み忙しかった日は日暮れとともに過ぎていった。

目標売り上げはピザ200皿。今までのマイナスをプラスにするには今日それだけの売り上げをしなければならない。明日、明後日の金土曜は400から500を売り上げてプラスになるかならないか。ビジネスとは大変なものだ。全ての材料の計算から、一食分への配当を決める。今回はメインステージの真っ正面、勝算はある。問題は仲間が仕事をやりこなせるかにかかっていた。出勤時間の二時間前から仕事を楽にするため、俺とラフ、ジョンで準備にかかる。空腹と好奇心でお客が外をウロウロしだした。ピザはいつ始まるのかと聞かれだした。開店の一時までまだ二時間。万全を期して準備を整える。俺はピザ全ての責任を任されていたので責任は重大。間違いのないよう、売り切れや、売り残りのでないよう、皆を指導する。ピザの薪オーブンの温度が350度を超えた。予想以上の客の引きで開店時間を15分早める。悪くない始まりだ。軽やかなドラム&ベースのサウンドの中、回りくる注文の数にリズムを刻み、皆で踊りながらピザを作り回した。時間はあっという間に過ぎていく、ピザは止まる事なく、オーブンへ運び込まれ、香ばしい香りとともに流れ作業のもと外へ出て行く。日はいつの間にか西の空に傾き、空腹とともに時間が過ぎていった事に気づく。フィンが売り上げの数を数えて来た。それは目標の約二倍、400近くピザを売り上げた。フィンも皆も大喜び、早めに店を閉めて、皆で飲みに出かけた。フィンが皆にビールをおごり、明け方近くまで祝福は続いた。

翌日は皆二日酔いで苦しそうだった。ゆったりと朝食にかぶりつき、目を覚ます。硬くなった体を精一杯伸ばして、体を馴染ます。テンポのいい音楽をかけ、気合いを吹き込む。今日と明日は昨日の倍、忙しくなくてはならない。予定より一時間も遅れて開店したカフェタンゴは、行列によって迎えられた。何時間続いただろうか、トイレに行く暇もなく、一服する事も、ため息もつけない。ふとラフを見ると同じように手を動かす様が、まるでロボットのように見えて笑えた。音楽はアップテンポをかけっぱなし、足腰が痛い。気がつくと日は傾き、仕事中でも酒をあおりだした。ヴォッカの力を借り、夕食に並ぶ行列との格闘。売り上げは既に目標を超えていたが、止まる事を知らないお客は次から次へと。皆は疲労から笑いが、フィンは収入から笑みが。流れる音楽も止まる事を知らずさらに速くベース音を響かせるようになる。酔いが皆に回りだした。キッチンの中はもうパーティー状態とかして来て、皆暴れだして来た。驚喜の中、確実にピザは売れていく。客もこれだけハッピーなキッチンを見た事があるだろうか。ピザが空を舞う。音楽が生み出した驚喜にかられてカフェタンゴは揺れていた。今までいろんなキッチンで働いたがここまで弾けた場所はここをおいて他ならない。楽しかった。売り上げは期待の二倍、700枚以上ピザが飛んだ事になる。一分一皿近く売り上げた計算になる。よくやったと少し感動。疲れきった体は倒れ込み、ラフとジョーに運んでもらい床に着いた。

最終日、疲労も最高潮。眠気が波のように押し押せてくる。晴天に恵まれたおかげか回復は早く、音楽とともにまた体は動き出す。そしてまた行列の嵐。仕事内容は同じように流れていったが、皆の手伝いもあり日曜は少し楽になった。10時ぐらいだろうか働きどうしだったのでフェスティバル自体を楽しむためカフェをほったらかしにして遊びにでた。コンサートを見に行ったり、辺りを見て回った。ジョーとラフ、マーラとでアトラクションの場所にも行った。まるで子供にでも戻ったように皆ではしゃぎ、回るブランコや、上下に回転しながら動く乗り物に乗って遊んだ。大人になってからでもこういったものは楽しいものだ。子供のようにはしゃいだ夜は、まるで子供のように床につき、夢の中へと意識を深い眠りの中へと連れてってくれた。

同じようにゆっくりと目覚めた朝は、汗だくになり、自分がどこにいるのだろうかと疑問に溺れる。テントから這い出てゆくと眩しい太陽が現実を照らしていた。かたずけを朝食とともにだらだらと体を働かす。五時間かけてカフェタンゴは跡形もなく消えていった。夕方ブリストルにジョンと戻り、パブで皆と合流。一二杯、飲んでインドカレーをテイクアウェイ。辛かった。

2011年8月18日木曜日

ロンドン観光?

ロンドンに行く決意を。水曜の午後、やっとの思いでロンドンに行く決意をし晴天の中また独り歩き出した。旅の自由は俺の足を止める事をやめない。路上に立ち、親指をあげる、ヒッチハイクは始まった。なかなか止まってくれない。それでも六時間かけて七回のヒッチハイクを繰り返し目的地のロンドンに到達した。途中豪雨に襲われ、寒さの中、高速の真ん中で雨に打たれながらヒッチハイクをしているときはさすがにまいった。着いた後にも宿探しには手間をかけ迷いに迷った末、二件のバッパーを見つけ、止まる場所は確保できた。ロンドンは高い。一泊14ポンドから20ポンド。、約14人から21人部屋でそれだ。たまらなく笑いが出る。交渉もきくような所ではなくしかたなく払わされる。予約はいっぱいで、毎日部屋を変えざらない状況にもあった。そしてここでは外国人の旅行者が大半を占め、特にイタリア、フランスそしてスペイン人に囲まれて過ごす日々となった。もちろんほとんどが英語を片言しかしゃべれなく、会話には苦労をした。
初日、ヒッチハイクの疲れもあり早めに床に着き体を休めた。
二日目、街を歩き歩き、時間を潰し夜に備えた。夜は、すぐ近くのバッパーで数人のイタリア人とビールを交わし限りある会話の中で酔いにはいりだした。近くで音楽を聴いていたフランス人のジェズに会い音楽の話が意気投合して仲良くなった。ジェズはイギリスに一年ほど滞在していたらしく、英語はよく通じ、ロンドンの歩き方もよく知っていた。彼はちょうど引っ越しをする間際でその週は止まる場所もなく、夜をパーティーで過ごし、朝から公園で睡眠を取るという生活をしていた。おもしろそうだ。どこに行くかというとファブリック、ドラム&ベースが流れるロンドンで誰とも知る、かなり有名なクラブだ。聞くとDJ Markyが今夜プレイするという。すぐさま決めた、今夜はそこだ。二時間ほど路上で時間を潰した。一緒にいたイタリア人とも仲良くなり、イタリアニーズという言語を勝手に作って話は盛り上がった。簡単にいうとでたらめイタリア語だ。発音を真似して英語を混ぜてけっこううけた。それだけ英単語がイタリア語にもあるのか意外にも通じるときがあり笑えた。そしてファブリック。百人以上並んでいただろうか、深夜12時を回ったときには既に行列ができていた。どれくらい待っただろうかわからないほど、会話に盛り上がり、飲んだくれていた。中に入ると地下に向かう階段が、そしてそこはまるで迷宮、入り組んだ地下トンネルにいくつものステージが隠れている。迷子になりながらいろんなステージを見て回った。仲間ともはぐれたら、見つけるのは困難、それでも中では出会ったりはぐれたり。外に出て一服。中に入って迷子。そうしてマーキィーはメインステージで始まった。いつの間にかみんなとはぐれていたが、これだけは見逃せない。豪快なサウンドシステムの中、サンバ系のベース音が体をダンスへとかり出した。辺りは騒然とし空気を泳ぐようにして重低音をかきわけた。はぐれていた仲間とも再会し共に流れる音楽に溺れた。コンサートが終わると急に蒸し暑さに襲われ外へと足を運ぶ。晴天は目に滲みる針のように虹色に刺さり、冷たい空気は乾ききった肺に氷のように流れ込む。一日の終わりであって始まりでもある。マクドナルドで時間を潰した後、倒れるように床に着いた。
同じような事の繰り返しのように始まった一日は、似た者同士が集まり、単調な一日として流れ、記憶には漠然としてしか残らない。曇り空の一日は憂鬱で二日酔いのまったりした生活には似合わない。疲れきった体は重く、あおる酒はごまかしであり楽しみではない。しかしながら一日は過ぎていき無理をする体は気持ち以上に活動し真夜中の街へと連れて行く。そんな中歩いたオールドストリートは途切れ途切れ記憶に細切れの写真のように残った。朝四時頃だろうか、帰り道のバスの中、急に飛び降りた。降り遅れたと勘違いしあわてて外へ出たのだ。一緒に飲んでた仲間がバスの中から驚いている。歩いて帰るはめになり重たい体をロンドンの西から東へと動かした。揺れる風景は目に入る事さえできず、見る事のできない景色は記憶にはっきりとは写らない。飲み過ぎとは面白くない事だ。
我に返った次の日は晴天。気分転換に公園へ出向く。ハイドパークはロンドンでもお気に入りの場所でとても大きく自分の居場所を与えてくれる。家族がピクニックをしている。年寄りが鴨と戯れている。若者が音楽を弾いたり本を読んでいる。子供達がかけっこやローラーボードで通り過ぎていく。ランニングやサイクリング、サッカーやバトミントン、穏やかな生活は俺を満たし生きた心地に戻してくれ、また気分のいい一日が始まった。半日をごろごろのびのびと公園で過ごした後、街を歩いてみてロンドンの街並と雰囲気を味わった。古い建物に囲まれきれいな街だと思う。ロンドンでは天候の話が盛り上がる訳がわかる。天候がそこにいる人たちの多くを左右する。その日はゆっくりとロンドン見物をしてバッパーに帰った。皆に今までどこにいたのかと心配されていて笑えた。面白いスペイン人のグループにも会った。日本の文化にかなりの影響を受けていて、アニメのような格好と、何かのキャラクターのように日本語を起用する奴らで笑いを誘ってくれた。その日はお酒を控えめにし皆との再会を誓い眠る事とにした。
五日間で200ポンド近く使ってしまった。旅の予算はこのままでは続いていかないがロンドンだからしかたないと財布の中にため息をついた。帰り道の途中、先週、監獄から出たばかりだと言うおじさんに会い一時間ほど話をした。イギリスの過酷な労働階級社会と、生き詰まる時代に取り残されていく、はみだし者達について語った。ヒッチハイクで帰るつもりだったが一時間ほどハイドパークで時間を潰した後、ロンドン人の多忙な人の時間のなさと溢れ出た疲れのためバスでブリストルに向かった。

2011年8月10日水曜日

スモールネーションフェスティバル

ウェールズの広大な緑と、古風作りの家々に囲まれた小さな村の片隅にある農場でスモールネーションフェスティバルは開催された。総員全部で約400から500人ほどだろうか、グラスティングバリーと比べると本当に小さなイベントで最大から最小のフェスティバルへの移行となり驚いた。ステージは二つ、お店やイベントが数えられるほどで、家族ずれが大半を占めていた。外での火を使ったパフォーマンス、ジャグリングや(棒回し)を繰り広げる人たちで日が暮れるまで賑やかだった。夜は静かになり、暗闇の中にぽっかりと光る月明かりだけがスモールネーションの草原を優しく照らしてくれていた。

三泊四日のスモールネーションでのカフェタンゴはそれでも一番賑やかに、最後まで晩餐に明け暮れた。おもしろいことにオーストライアから知り合いのカーラとその友達サイモンがカフェの仲間はいったし、インドで会ったリサとデインも今回のカフェタンゴの成員となりフィン、ラフ、ジョー、ジョン、ジョーシュとで楽しいフェスティバルは仲良く始まった。初日はカフェの準備で忙しく、看板のデザインやキッチン作りに追われた。今回はピザを提供。粘土とセラミックで覆われた大きなオーブンでピザを90秒で作り上げる予定だ。夜は皆で飲んで明かした。

二日目、期待よりも多くの商売敵と予想以下の参加者のせいで売り上げは伸びず、静かなピザ作りで始まった。それでも音楽をかけ仲間は皆、楽しく踊りながらのカフェタンゴは小さなフェスティバルの中で多いに目立ち、歓声を受けた。夜、暇が開いたときに(ほぼ暇な状況だったが)ライブを見に行ってみてウェールズの地方のバンドの音に感動した。氷の塊が粉状になったラインの先に、朝日が昇るまで歌ったり踊ったり、お客用の折りたたみ椅子で投げ合いをしたり、夜はいつも狸のお祭りのように壮大に盛り上がった。

三日目、翌日と変わりもなく静かなカフェは翌日の疲れとともに皆を眠りへと連れ込んだ。
平凡な一日は長く感じられ、終わる事のない落胆は疲れをも拡張させる。音楽さえもゆったりと流れ、小さなフェスティバルはより小さく感じられた。夜中になると自分たち用にキノコピザを作り皆で味わった後、幻想的な時間がゆったりと流れる中一人一人、手に小道具を持ち、音楽を作り始めた。ボールに鍋ぶた泡立て器にざる、スプーンにトマトの缶詰め、などなどアイディアを競い合って愉快なリズムを刻んだ。デインがチベットから持って来た仏教の鈴は皆の注目のアイテムとして取り上げられ、夢中で鈴棒で音を響かせた。その統一された繊細な旋律は虹の彼方から仏を呼び、空へと舞い上がる阿弥陀仏として俺の頭に虹色に焼きつき、夜中、凛という始まりの音とともに別の世界へと意識を蒸発させてくれた。深夜には寒気が襲いキャンプファイヤーの準備を始めたが、都会の者がキャンプをすると缶詰めの中に小さな火を灯し皆で輪になることになった。空腹に襲われ想像力をフルに活動させピザの残り物でいろんなバーベキューを創作し、コーヒーのかき混ぜ棒に刺し小さなトマト缶の火であぶり味わった。そんな中リサが持ち出したマシュマロを見て創案したのがマシュマロピザ、後にミッドナイトマラドールとして呼ばれるようになったが、たっぷりのチョコとバナナ、ウォーナッツにハニーとマシュマロをトッピングしたピザを考案。皆の注目を浴び、夜中のスナックとしてその日活躍した。早朝、霧に囲まれた草原は優雅にも紺色に空気を染め朝日を迎える。キャンプ場に歩き、皆で朝日を待った。空に流れる飛行機雲がまるで世界を変える巨大隕石のように数々飛んでいく中、冷えきった世界に暖かい太陽が流れ朝はいつものように訪れを告げていた。

晴天はテント暮らしにとって災難だ。照り着く日差しはテントの中を灼熱の地獄と変え、疲れきった体を汗だくにして目覚めさせる。重たい体を押し起こしてシャワーに向かう。冷たい水で汗を流し、カフェに向かう。朝食をジョンとともに過ごし、ゆっくりとかたずけを始めた。晴天に恵まれた四日間は嵐のように過ぎ、地面に残る片付けられたカフェの四角い後がまるで作られた不思議の国の塞がれた出口として二度と戻れない時間と空間のように感じられた光景だった。こうして皆でウェールズにあるフィンの親父さんの家に向かった。





疲れきった体はウェールズの家にある静かな自然の中で過ごすと癒しが速い。早朝から朝ご飯を作ったりし、夕方はビーチでバーベキューをすることになった。早速、肉とビールを買いに車で出かけそのままビーチへ。そこで見た景色は広大な丘から一気にビーチと化す英国独特の姿、ビーチから二、三十メートルもいっきに登り建つ岸はオーストラリアのグレートオーシャンロードをも思い出させる光景だった。海にはオットセイが時々見られ俺らの注目を集めた。しかしながら英国は天気が悪いし寒い。冷たい風の吹く中ジョー、ラフ、デインと俺らは海へと飛び込んだ。その間フィンがバーベキューの用意をしてくれ寒くなった体をバーベキューセットを囲み暖まった。久々の肉はまた格段とおいしく食感もとてもよかった。ラフがサンマも持って来ていて焼き魚をもしてくれた。バーベキューが終わると皆でフリスービーやサッカーをビーチでして楽しんだ。驚いたのは潮のひき方、一メートルほどだった満潮時から三時間後、そこには五十メートルほどのビーチが何キロも続いていた。日が暮れるとキャンプファイヤーをして体を温めた。真夜中まで続いた会話は消え行く炎とともに穏やかに過ぎ去り、家路へと向かった。

次の日、ブリストルに向かった。体を休め、次の計画を考えた。それからの日々は、カーラとサイモンにバーベキューに誘われ、彼らの友達のうちでバーベキューをしたり、夜のブリストルの街と音楽を楽しみにジョーシュと外へ出たりして過ぎていった。チェスも楽しんだし、ポーカーもしたりして一週間ほど流れていった。土曜の夜はジョーシュが家の窓からゲロをぶちまけるほど飲んだ。三回ほどクライミングジムへと向かい、なまりきった体に筋肉痛を叩き込んだりもした。

2011年8月8日月曜日

ブリストルに本拠地を


グラスティングバリーフェスティバルの最終日から二日かけてカフェを片付け、ウェールズの北西海岸にあるフィンの親父さんの家に向かった。本当に小さな村にあり、辺り一面、羊の牧場と麦畑に囲まれ、穏やかな所だった。グラスティングバリーの混沌から抜け出し丸一日を自然に囲まれて親かに過ごした。次の日、後かたずけの後ブリストルに向かい明日の、セント ポールズ カーニバルに備えた。ブリストルはイギリスに南西にあり、小さい街ながらかなり賑やかだ。至る所にストリートアートが描かれ、皆活気に満ちている。ロンドンと違って、すれ違う人たちと笑顔を交わし合い挨拶もする。ここでもかなりの多国籍の人々と会い、いろんな文化に出会った。

土曜日の昼頃、音楽が街から聞こえてきた。青空に恵まれたその街はセント ポールズ カーニバルにとって幸いの日となり街中をお祭り騒ぎへと変えていった。フィンと表へ出てみると、大通りは人波に溢れてい、白人から黒人、アラブ系からラテン系、あらゆる人種の人たちがごった返し、露店と巨大スピーカーに囲まれた大通りはまた俺を混沌の最中に連れてってくれた。大きな公園に人だかりはでき、芝生の上で酒は進んだ。壮大なカーニバルは深夜へと続き街中を騒ぎ立てていたが、さすがに三週間の疲れがでたせいか、知らぬ間に誰とも知らぬハウスパーティーのソファーで眠りへと着いていた。フィンに担いで帰ってもらい騒ぎ立てた夜は静かな朝を迎えた。

二日酔いは皆同じく、紅茶を飲み飲み、昼はだらだらと時間を潰した。夕方まじか、サイクリングがしたくなりラフを説得し重い頭を街へと向けた。ラフに高台にある高原へと連れって行ってもらいブリストルの街を見下ろした。まさにデジャブー。見下ろした光景はジブリのような街並に囲まれ魔女の宅急便を思い出させた。そのすがすがしさの心地よさ、しっくりとくる緑溢れる英国は絵に描いたように夕日に燃え、頭の中に焼き付いた。帰り道パブで一杯ビールを嗜み岐路に着くと、偶然にも偶然、ブリストルという小さな街の小さな路地で、メルボルンで働いていた頃、隣で働いていて、俺のインドネシア行きのチケットを予約してくれたオーストラリア人の子、カーラと再会。お互い驚きまくった。会話は弾み何をしているかと訪ねると、もう一年もイギリスにいるという、仕事もやめて今はフェスティバルを楽しみたいと。そこで次のフェスティバルでもう一人ウェイトレスが必要だというとやってみたいと言ってくれた。話が進んだ後、家に帰りフィンと話をし、カーラは次のカフェタンゴのメンバーとして仲間になった。友達の輪とはおもしろいものだ。予想もしてない場所で、予測もできない出会いに会い、まるで予知されていたように事が起こる。まだまだ旅は長い、次は何が起こるだろうか。

それから数日、ミニバンを買いたくインターネットに取り憑かれ頭を悩ました。が、結果保険という壁にぶつかりしばらくの間はあきらめる事にした。家でバーベキューしたり、ギターを弾いたり、平坦で穏やかな一日がしばらく続いた。
フィンと共に次のフェスティバルに向け食材の買い物に行きウェールズに向かった。フィンの姉のトレイラーを牽引しウェールズの高速を時速100キロで走っているとき車が突如揺れだし、俺らが乗っていたバンが急に高速をはみだしたり対向車線に滑ったり。フィンを見るとその横顔はマジやば、下り坂で牽引車に押されだしたのか止まる事ができない。ドーンと大きな音がしトレーラーが外れた。フィンはバンを車線に戻し道路の隅に緊急停車。ホットした一瞬だった。幸いにも対向車はなっかたし、横転も真逃れ、大きな交通事故にはならなかったがトレーラーは再起不能。レッカー車を呼び高速の真ん中で二時間ほど頭に登ったアドレナリンの静かな脈拍の音に、生きている実感を感じた。