2011年5月31日火曜日

インドに魅せられて 3


ビネカル

後悔、、、 間違った場所に来た、そんな気持ちになった。乾ききった土地の真ん中にこんな大きな都会も存在できるのかと関心はしたものの、騒音と公害に囲まれる日々は旅人にとって苦痛だ。ジャイサルマーに残るべきだった。ラクダツアーに参加し、一日を砂漠で過ごしたが、そこそこだった。ジャイサルマーでツアーを組んだ人たちは感動と衝撃に満たされていたが、俺は疲労と落胆に落ち込んだ。街の端に安宿を見つけ、数日をビデオの編集に打ち込み、親への手紙を書き、サフロンティーと共に送った。
そんな日々の中ビカネルに立ち寄った理由、街の名所、はあるお寺にある。世界で唯一のネズミを神とまつわるお寺。そこで目にした物は驚きに目が眩んだ。ネズミを神と称し食べ物を与え、可愛がり、敬っている。寺に入るとその匂いに体は包まれ、裸足で入らなければならないおかげで溢れるネズミの糞の感触に鳥肌が立つ。文化とは面白い。聞いた話によるとそこにはネズミ専用のシェフが存在し、信仰的な人々は地べたに横たわりネズミと戯れるらしい。
落ち着いた日々は緩やかに過ぎ、アミリトッサーに向かった。




アムリトッサー

午前四時、陽も出る前に大声に起こされ、10時間以上のバス旅に疲れきった頭に入ってくるかけ声に混乱した。バスを降り、怠い体にチャイを流し込み安宿を訪ね回りリクシャーに飛び乗る。ドミトリーを見つけもう一眠りした。
熱気とともに起こされる体は一段と重く、汗によりベタつく肌は一日の始まりを心地よく迎えてはくれない。六人部屋のドミトリーには俺独り、真っ白な壁と高すぎる天井がそのただ広い空間を孤独が埋め尽くす。この街にも人はいないのかと不安に横たわりながらも前進するしかない選択肢に疑問を憶える。シャワーを浴び気分を一掃させると青空と微風が肌に通り元気がでた。ゲストハウスのカウンターに向かいこの街の情報を手に入れると早速街に出てみた。交通量の多さにまず驚き、埋め尽くされる排気ガスと騒音の中、朝食を探しに歩いた。
こんな始まりの中、街の見所ゴールデンテンプルには少し期待を抱いていた自分に30ルピーのタリを流し込む。Golden templeの近くまで歩くとさすがに人ごみに悩まされ始めた。いくらかかるのかと心配した入場料には無料という驚きを隠せなかった。そして扉をくぐるとそこには金色に輝く雄大な寺が水の上に建っていた。あたりをぐるりと回りその日はおしまいにした。
帰って部屋でビデオの編集をしギターを練習していると何人かのバッパーが入ってきた。待ちに待った来客に会話は弾み皆で乾杯した。Golden temple の近くにただで泊めてくれる場所とただ飯の話を聞き,そこに次の日向かうことに決めた。
一部屋に三十人近くはいただろうか、幅一メートル間隔でシェアするベットに荷物を置き、パキスタンボーダー セレモニーに向かった。
旅仲間は楽もしい。セレモニー自体は不思議なものだった。国境沿いにお互いの国の音楽を流し、インドの方は女性達がナイトクラブのような雰囲気で踊り男どもがそれを眺めているパキスタンの方も負けじと大声を上げ、なにやらやっていたがあまり見えなかった。お互いこんな物かと笑い、寺に帰った。
Golden temple の中のただ飯の場に行くと、慌ただしい皿洗いの音に驚いた。何千というアルミ製の食器が飛ぶように片付けられていく。流れ作業の混沌の横のドアの中に人が吸い込まれていく。写真も撮る間もなく食器を取り渡され、部屋へ連れてかれる。そこには何百という人が地べたに座り食事をしている。押し流され、自分の場所を確保し座り込むと、すぐさまに大きな鉄製のバケツを持ったインド人が尺でダルを注ぎにくる。その速さはまるで家畜でも世話してるようにお粗末だがこの人数だから、納得はできた。皆驚きの表情を隠せず口にしたタリは今まで食べたインド料理の中で最高だった。とにかくおいしい。何度おかわりをしてもいい。最高だ。腹がはち切れるほど食べている最中、急に回りの人々が立ちだし、部屋を流れるように出て行く。掃除の時間だ。水が石床に撒かれ踊るように現れたモップ達に拭かれるように外に出ると皆で感想を話した。その後キッチンを見に行き驚いた。騒音と共に洗われていく食器の隣で、風呂のように大きな釜にカレーが湯気をたてていて何百というチャパティがホットプレートの上を舞っている。何百というカボチャが微塵に切られて垂井の中に投げ込まれていく。これを毎日二十四時間やっていると聞くのだから感嘆に目を取られた。
夜見る Golden temple はまた一段と輝しく賑やかだった。参列するインド人に混じって中に入るとそこには一日中演奏し続けている演奏家達と幅が一メートル以上もある大きな本を読んでいる僧が彩られた寺院の中に座っていて、皆それを拝んでいた。屋上は人も少なく心地よい風が吹いていた。
皆床についたが俺は一人で Golden temple の敷地内で読書に耽った。そこには何千という人たちが地べたに横たわり眠っていたが、物売りも物乞いもとくになかったので静かに過ごすことができた。
次の日、回りの勧めで北に向かうのを止めマックレオ ガンジに向かう決心をしバス停に向かうとそこには溢れんばかりのバッパーに出くわすことになった。どうやらマックレオ ガンジはヒッピー達のパラダイスらしい。バッパーだらけのローカルバスにはいつもとは違う、いきいきとした雰囲気があり気分も高ぶった。何人かは他の街でも出会ったことがあり。お互いの経験を話し合い楽しいバス旅になった。標高二千メートル以上のマックレオ ガンジに向かう道のりは、うねり道でかなりのデコボコ坂でもあったが、時間が経つに連れて気温が下がり、空気も澄んできて、皆、興奮しだした。緑の山々に囲まれた道森は壮大で山の頂上に白雪が見えたときは感嘆に息をのんだ。少々波乱もあったが午後七時過ぎ頃だろうか夕日の沈む緑豊かな山々に囲まれてマックレオ ガンジに辿り着いた。




マックレオ ガンジ

夜行バスの揺れる中、俺はまたガンジに向かっている。バシッシに二週間滞在の後ここに帰るきっかけになったのは恋心か音楽かは、はっきりしないが共に行くエリスに気がないことも反論はできない。とにかく今は三週間前の出来事を話そう。
アミリットサーの後マックレオ ガンジに着いた後、カナダ人のジェニとロブ、シェインと息統合し部屋をシェアすることになった。着くなり、酒が必要だなといいだしたカナダ人は元気もいいがノリもいい。疲れきった体にウィスキーを流し込みギターを手に取ると皆賛同して歌いだした。ゲストハウスの一部屋の中で始まった歌声は笑い声とともに皆を一つにまとめた。心地よい雰囲気は音楽が作ってくれる。特に皆の音楽のテイストが似ていると面白い。拡張する声音の合間に見出した友情はアップテンポするリズムにより盛り上がり時間という実在のない存在を忘れさせる。しかしながら空腹という原始的な感覚は動物である人という現実を比喩させる如く、無視することはできない。12時を回る直前だった。慌てて飛び出した街にはまだ光もまばらにあり、インドという雰囲気を忘れさせた。音楽も聞こえてくる。近くにあったレストランに入り簡単に晩飯をすませると帰り道、バーから出てくる人だかりと遭遇した。俺のギターを見るなり、ストリートパーティーだと騒ぎ立て道ばたへと飛び出した。パーティーは始まった。ウィスキーのボトルを片手に路上で大はしゃぎ。今思えばよく苦情が出なかったもんだと笑いが出る。三時まで続いたセッションは眠気とともに一足づつ闇に消えていき、澄んだ冷たい空気に囲まれた静寂に包まれた路地に一日の終わりを凛と伝えた。
マックレオ ガンジは観光の村だ。しかしながら、ゲストハウスにレストラン、土産屋と出店に囲まれた観光化されたこの村に居心地のいい雰囲気を与えてくれるのはチベットの文化に影響を与えられた涼しさによる。しつこい物売りもいなければ、必要に追っかけてくるインド人も少ない。インド料理に飽きてきた俺のこの頃には最適な場所となった。
この日、昼食の後に向かった滝にも驚かされた。雪解け水から流れてくる透明な水は突抜けるように冷たく、飲むこともできた。滝の上に居心地の良さそうな場所を見つけ四人で涼しい快晴を数時間満喫した。
その夜は四人で映画「ソーシャル ネットワーク」を見、ジェニに俺のドレッドを直してもらった。
水道水を飲みだしたせいか、次の日下痢になり苦痛と困難に苛まれた。バクソで時間を潰し夜行バスに乗り込み、バシーッシに向かった。もう少しバクソに滞在するべきだったと後悔したが時は遅くバスの中で腹痛に悩まされた。




オールドマナリ

午前五時、朝露の中マナリに通着した。肌に滲みる冷たい雨と、骨まで突き通る寒さが俺を襲った。ティーシャツしか持ってなかった俺には凍えるような気温の変化だ。バシーッシに向かう予定だったがリックシャーが動いてくれない、そこで隣の街オールドマナリに立ち寄ることにした。観光客の多いこの街はイズラエル人の天下だった。ハーシュに溺れ一日をゲストハウスで過ごす人も少なくはない、まぁ環境上そういった旅も楽しかろうが俺には合わずジャケットを購入したのちビデオの編集に時間を費やし次の日バシーッシに向かった。



バシーッシ

観光地だ。想像以上の観光化された場所だったが気に入った。雪山に囲まれたこの町は居心地もよく、温泉が一つありクライミングを目的とする俺にとって長居をする場所として楽しい場所になった。ここでの生活はおよそ二週間。始まりは滝を見に行くハイキングだった。二、三十分ほどのトラッキングは晴天の青空に囲まれた青々した山下の中、真っ白に光る山脈の頂上に圧倒されながら辿り着いた壮大な滝により爽快な終焉を迎えた。
途中にあるカフェ、ハウスに立寄、チャイをたしなめるところも一つの見所だ。
インドの旅に終幕を打つ、ある出来事が起こった。それはイギリスの友達 R ジョンからだ。ジョンは俺がメルボルンにいた頃数ヶ月旅人として俺らのシェアハウスに滞在した。俺がヨーロッパに来ることも知っていて頃合いかと声をかけてくれた。イギリスでバイトの手伝いをしないかと言ってくれた。しかもその場所と着たらグラスティン フェスチバルだ。イギリス人なら誰でも知っている英国で最大の音楽祭だろう。一度は行ってみたかったところである。少し戸惑ったが受け入れられるオファーは見逃しては後悔する。それからは三、四日ほどインターネットに縛り付き航空券の予約とバイト内容、ビザ関係などなど忙しかった。ジョンが空港まで迎えに着てくれる言ってくれ、家もジョンの家に滞在さしてもらうことにした。イギリスはとにかく生活費が高い。だからかなり安心してイギリスに旅立つ予定が成立した。それからというものヨーロッパに向かって気分が高ぶりインドの旅に対して興味が薄れ、インド北部とダージリン、ネパールは断念した。旅とはこんなものだ。気に入った奴らに出会えば共に行動し、何か起これば予定は無限に変えられる。と、余談はまた後にして、バシーッシだがこんな気分の中、数人のクライマーに出会いクライミング生活が始まった。

ソラングというバスで三十分ほど離れた場所にボーダリングロックがゴロゴロしている場所があり、よく行った。

ほぼ毎日、お馴染みのレストランに行き夕食を共にし、いろんな話をした。

映画を見に行った日もある。

日本食を食べに行ったり韓国料理も楽しんだ。

ベルギー出身のハナとローラと一緒にコソールへバイクドライブへ連れってってもらった。コソールは小さなヒッピーの集まる場所でイスラエル人の天国だ。トランスの音楽があちらこちらから聞こえた。そこでは小さなトランス フェスティバルがあり夕焼けとともに盛り上がるミュージックと共に久々に聞く大音響の中、ステレオの前でみんなで踊り回った。加速するベース音の中、乾ききった喉に、ヴッカ オレンジを流し込み、光の合間に垣間見れる友の笑顔に相づちを打ち、空を飛べると振り上げた両手に乱射するレーザー光線に魅とれ、数時間という人生のごく一部で、歓喜に満ちてゆく喜びを感じた。
インドのパーティーは最悪だ。午後十時、おまわりさん達がやってきて、音楽はお開き。こんなことがあるのかと文句をいいながらも久々の音に埋もれた快感は充実していた。

次の日バシーッシにバイクで戻り疲れきった体を温泉で休めた。

ドライブ経験が二日というローラの後ろに乗ったバイクライドは険しい山道で荒れ狂うインド人の車に囲まれながら、あたふたと走ったローラに感謝する。道路はまだ整理されておらずデコボコだが、景色は雪解けの山々に囲まれ壮大だった。四時間ものバイクライドとなった帰り道の途中ガソリンが二度切れ、ヒッチハイクで助けを求めなんとかやりくりもした。楽しいドライブだったが事故一つもなく無事着いた今となっては笑い話になる。

バシーッシ最後の日もソラングにクライミングに行った。最後まで登れなかった二つの難関をクリアしたとき自分に対して成長と、達成感に浸り、ソラングに来てよかったと喜びに満ちた。最後まで根気よくサポートしてくれたマーカスとヤンに感謝する。

ドイツ人のマーカス、ヤン、スイス人のマーカス、地元に住むイギリス人のデェィブ、アメリカ人のテイラーに別れを告げバクソに向かって旅立ちはまた始まった。

2011年5月4日水曜日

インドに魅せられて 2


ジョドプール

この街は青色の建物に囲まれる大きな砦がある。石造の巨大なその砦は青々としたその街の象徴のように優雅にたたずんでいる。ここで泊まったヨギゲストハウスもその一つ、凛々しく青色に輝いていた。アリーナとヤコ、トーマスと一緒にシェアしたその部屋はまるで古くから伝わる伝統的な雰囲気に囲まれ、大理石でできた床により逸走高級感を漂わせた。屋上も感動するほどの絶景と居心地を馴染ませるクッションで飾られていた。
入り組んだ道には、数多くのティーショップが街を賑やかに活気づけ、色とりどりのサロンを扱っている店が華やかに街を彩っている。
街を歩き一つのティーショプに立ち寄った。そこで試飲したサフロンティーに恋をして思わず購入。他にも数多く試したが、どれもこれも品がよく香ばしかった。
次の日、ジョドプールのメランガル砦に見物に行った。丘の上にある砦に、急な坂を炎天下の中、息を切らしながら向かう。途中の景色も楽しみがいがあり、ゆっくりと。300ルピーとかなりの高額だがその甲斐はあった。雄大な建物はゆったりとした風と優雅に飛び交う鳩に包まれ、静かに歴史を語った。天空の城ラピュタを思い出させる街と砦だった。
この街では久々に鶏肉に出会った。ちょっと高級なレストランに入り食べたチキンティッカは格別とおいしくベジタリアン化された胃にどっかりと流し込まれた。酒屋をその街で発見、店にあった一番安いウィスキーとラムを手にジョドプールに乾杯した。
ジョドプールには四日滞在、途中出会ったニコとトーマスと共にジャイサルマーに向かった。



ジャイサルマー

インドでお気に入りの街の一つだ。インドに来る機会があるならばぜひ立ち寄ってほしい。そして砦内のホテルに泊まることをお勧めする。格安でしかも感動の絶景。どのホテルでも独特の優雅な雰囲気があり、家具のセンスもよく、落ち着いた部屋と風景を提供してくれるだろう。そして、ここの街の砦だけが唯一人が住んでいいらしい。小さいがその街の砦内の雰囲気はまさに中世時代のまっただ中、男ならまるで騎士にでもなったような、女性なら貴族の箱娘の気持ちにでもなり浮かれるだろう。ロマンがある。入り口の門にはたくさんの物売りがいてかなり騒がしいが、中はとても穏やかで居心地がいい。この街では特に何もすることはないが雰囲気を味わうには最高。
街全体は二時間もあればぐるりと回れるほどの小さな街で、その隅に小さな丘がある。10分ほどで登りきれるその場所から、夕日を楽しむことができ、夕方になるとたくさんの観光客と物乞いによって賑やかになる。夕日とともに子供達が歌を歌い、インドの民族演奏家が音を奏でるその丘で、一つの家族に会い、手作りの楽器を観せてもらった。その後その家族の家へと招待され、チャイを共にインドの音色を奏でてくれた。ドアもトイレもない、水も住所ですらないそのスラムにある小さな一軒で15人以上の大家族を支える男達は愉快ながら逞しくあった。不思議とテレビがあることにインドのテレビ文化に感動すら憶える。楽器と文化、歴史と家族についていろんな話をした。15の娘は一度しか会ったことのない相手と既に結婚が決まっていたり、女性は客人達が食べ終わるまで食事には手を付けなかったり、何千を超える神様がいたり、とてつもない数の家族構成やインドの楽器の扱い方を教わったりした。次の日夕食に招待され晩餐を共にもした。
最後の夜、ヤコとアリーナに会い、夕食を彼らの砦内のホテルで共にした。ラジャスタンでは唯一のおいしいベジタリアンだった。そのレストランから、この街唯一の違法でないバングショップが見下ろされる。まさに神業、インド人が宗教「神」を信じる気持ちがわかる気がした。インドでは葬式や結婚式にアヘンやマリファナを吸う風習が残っており、未だにその文化に強く根付いているのもそのせいだろう。お酒は御法度、肉は神様、文化の違いとは末恐ろしい。夜、神々しく輝く街の砦の天辺で見下ろした光る音の中に大きな港を見つけ、時代を突き抜ける経験と、統一された精神の中で駆け巡る信仰心の深さに魅とれ、深く神々に感謝と、慈悲を浴びる自我の喜びに感嘆したのもこの街ならではの経験かもしれない。。。

次の日の朝六時のビカネル行きのバスに乗り遅れた。