2012年11月26日月曜日

カナダよりヨーロッパの旅を終えて 7

 ベネチア

ベネチアの駅に夕方遅く到着。駅から出ると運河が目の前を流れている。大きな石橋が島と島をつなぐようにたくさんかかっている。ベネチアに来る一日前までベネチアが島で成り立っているという事さえ知らなかった。感動的だった。日の暮れたベネチアは、まさにロマンスの街。照明は穏やかに紅く、水面を反射し街を映し出す。タクシーの代わりにゴンドラが駅の前にある。思わず「うぁ〜お」と声がでた。

ベネチアではロンドンで出会ったジョルジアにお世話になった。駅についてとりあえず連絡を入れると明日ベネチアに帰って来るという。ホステルととるほど余裕はない。ありがたい事にジョルジアがシェアメイトに連絡してくれて家に入れてくれると言ってくれた。しかしベネチアの街は迷路みたいでとても迷子になった。なんども道を尋ね、辿り着く。他に三人の女の子とシェアしていたが誰も英語が出来ず会話には困った。
ジョルジアはベネチアの大学に行っていて、中心街に住んでいた。家はかなり小さく、キッチンは一人でも窮屈なくらいな場所で、三人一部屋、確か家賃が月500ユーロ以上だったと思う。ベネチアの物価の高さを思い知らされた。泊めてもらう事にとても感謝。あちらこちらに友達をもつことに感謝。それと運もよかった。ちょうど大学も卒業したので次の週にはベネチアを出てポルトガルに行くのだと。ジョルジアがいてほんとに助かった。

とにかく、その晩は何もせず旅の疲れを癒した。

朝起きて買い物に行き、食料を調達。買い物が楽しかった。ハムにチーズ、ワインにパン、意外と安い食品、ハムはバカでかい肉のかたまりが店に吊るしてある。片言の英語とイタリア語でがんばった。にしても、なにからなにまで、うまい。多分サンドウィッチで始まったベネチアの生活は、毎日料理する生活ともなった。
一日目は多分、ジョルギアの帰りを待ち晩飯をごちそうしたくらいだったか。夜は二人で学生のたまり場へと酒を飲みに行った。おいしいワインを飲み歩く。広場は学生で溢れ活気があった。それでも英語を話せるものは少なく、会話には苦労したのを憶えてる。

次の日は二人でベネチアの街を歩いて回った。今までで一番感動を得た街の一つだろう。ありとあらゆる場所で感動する。カメラ片手にシャッターを切りまくる。どこを撮っても絵になるのがベネチアだ。水の都、まさにその名の通り海に浮かぶ街は車も電車も無く雰囲気がある。ゴンドラとボートが水路をつたって行き来する。全ての建物が絵になる。
雰囲気のいい橋の下で、作って来たパスタを食べる。ツナサラダパスタ、イタリア人ジョルジアもびっくり、おいしく食べてくれた。
何百枚も写真を撮っただろう、編集に時間をかけたのを憶えている。本当に感動的だった。
家に帰ってからワインで乾杯、次の日の予定をたて夜は更けていった。

次の日は二人で運河を超え、エリオットアーウィットのフォトギャラリーに行った。ベネチアにはたくさん美術館やギャラリーがあるが、ジョルジアの勧めでここを選んだ。エリオットアーウィット、彼はとても面白い写真家だ。サーカスティックな写真家で有名な人だ。いくつかの写真はどこかで見た覚えがあった。そこいらの美術館よりは面白いものが見れるだろう。二時間ほど堪能し、その一日は終わった。
その夜はジョルジアとその友達達とで飲みに出かけた。出かけたと行っても路上だ。雰囲気のいい街並を歩きながら飲んで回った。音楽がどこからともなく聞こえ、向かっていくと広場でたくさんの人たちが路上パティーをしていた。誰が持って来たかわからないラジカセにアイポッドをつなぎ音楽はかけられていた。そこに人だかりが出来てパーティー、ベネチアスタイルか?面白かった。

次の日はリドビーチに泳ぎにいった。観光都市にしては意外ときれいなビーチで、人だかりがすごかったが、少し遠くまで歩いていくと、居心地のいい堤防が並んであり、ローカル達が何人か夏の初めの海を楽しんでいた。泳ぎ疲れた後、ギターとワインで夕方まで時間を過ごし楽しんだ。
帰り道のフェリーでは夕日に感動した。ベネチアの街が真っ赤に染まった景色はまさに幻想的、この船が本当にどこに行くのか不思議に思ったくらいだ。本島の方に着いたときも感動、夕日の反射するマジカルなストリートにベネチアの美しさが現れていた。
夜は学生の集まる広場に飲みに行った。ギターを持ち出してその広場でバスキングをやった。たくさんの人たちが集まり、歌って踊った一夜だった。

最終日、リドビーチに行きゆっくり時間を過ごした後、明日の旅路に備えて、まったりした一日を過ごした。

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