2011年8月10日水曜日

スモールネーションフェスティバル

ウェールズの広大な緑と、古風作りの家々に囲まれた小さな村の片隅にある農場でスモールネーションフェスティバルは開催された。総員全部で約400から500人ほどだろうか、グラスティングバリーと比べると本当に小さなイベントで最大から最小のフェスティバルへの移行となり驚いた。ステージは二つ、お店やイベントが数えられるほどで、家族ずれが大半を占めていた。外での火を使ったパフォーマンス、ジャグリングや(棒回し)を繰り広げる人たちで日が暮れるまで賑やかだった。夜は静かになり、暗闇の中にぽっかりと光る月明かりだけがスモールネーションの草原を優しく照らしてくれていた。

三泊四日のスモールネーションでのカフェタンゴはそれでも一番賑やかに、最後まで晩餐に明け暮れた。おもしろいことにオーストライアから知り合いのカーラとその友達サイモンがカフェの仲間はいったし、インドで会ったリサとデインも今回のカフェタンゴの成員となりフィン、ラフ、ジョー、ジョン、ジョーシュとで楽しいフェスティバルは仲良く始まった。初日はカフェの準備で忙しく、看板のデザインやキッチン作りに追われた。今回はピザを提供。粘土とセラミックで覆われた大きなオーブンでピザを90秒で作り上げる予定だ。夜は皆で飲んで明かした。

二日目、期待よりも多くの商売敵と予想以下の参加者のせいで売り上げは伸びず、静かなピザ作りで始まった。それでも音楽をかけ仲間は皆、楽しく踊りながらのカフェタンゴは小さなフェスティバルの中で多いに目立ち、歓声を受けた。夜、暇が開いたときに(ほぼ暇な状況だったが)ライブを見に行ってみてウェールズの地方のバンドの音に感動した。氷の塊が粉状になったラインの先に、朝日が昇るまで歌ったり踊ったり、お客用の折りたたみ椅子で投げ合いをしたり、夜はいつも狸のお祭りのように壮大に盛り上がった。

三日目、翌日と変わりもなく静かなカフェは翌日の疲れとともに皆を眠りへと連れ込んだ。
平凡な一日は長く感じられ、終わる事のない落胆は疲れをも拡張させる。音楽さえもゆったりと流れ、小さなフェスティバルはより小さく感じられた。夜中になると自分たち用にキノコピザを作り皆で味わった後、幻想的な時間がゆったりと流れる中一人一人、手に小道具を持ち、音楽を作り始めた。ボールに鍋ぶた泡立て器にざる、スプーンにトマトの缶詰め、などなどアイディアを競い合って愉快なリズムを刻んだ。デインがチベットから持って来た仏教の鈴は皆の注目のアイテムとして取り上げられ、夢中で鈴棒で音を響かせた。その統一された繊細な旋律は虹の彼方から仏を呼び、空へと舞い上がる阿弥陀仏として俺の頭に虹色に焼きつき、夜中、凛という始まりの音とともに別の世界へと意識を蒸発させてくれた。深夜には寒気が襲いキャンプファイヤーの準備を始めたが、都会の者がキャンプをすると缶詰めの中に小さな火を灯し皆で輪になることになった。空腹に襲われ想像力をフルに活動させピザの残り物でいろんなバーベキューを創作し、コーヒーのかき混ぜ棒に刺し小さなトマト缶の火であぶり味わった。そんな中リサが持ち出したマシュマロを見て創案したのがマシュマロピザ、後にミッドナイトマラドールとして呼ばれるようになったが、たっぷりのチョコとバナナ、ウォーナッツにハニーとマシュマロをトッピングしたピザを考案。皆の注目を浴び、夜中のスナックとしてその日活躍した。早朝、霧に囲まれた草原は優雅にも紺色に空気を染め朝日を迎える。キャンプ場に歩き、皆で朝日を待った。空に流れる飛行機雲がまるで世界を変える巨大隕石のように数々飛んでいく中、冷えきった世界に暖かい太陽が流れ朝はいつものように訪れを告げていた。

晴天はテント暮らしにとって災難だ。照り着く日差しはテントの中を灼熱の地獄と変え、疲れきった体を汗だくにして目覚めさせる。重たい体を押し起こしてシャワーに向かう。冷たい水で汗を流し、カフェに向かう。朝食をジョンとともに過ごし、ゆっくりとかたずけを始めた。晴天に恵まれた四日間は嵐のように過ぎ、地面に残る片付けられたカフェの四角い後がまるで作られた不思議の国の塞がれた出口として二度と戻れない時間と空間のように感じられた光景だった。こうして皆でウェールズにあるフィンの親父さんの家に向かった。





疲れきった体はウェールズの家にある静かな自然の中で過ごすと癒しが速い。早朝から朝ご飯を作ったりし、夕方はビーチでバーベキューをすることになった。早速、肉とビールを買いに車で出かけそのままビーチへ。そこで見た景色は広大な丘から一気にビーチと化す英国独特の姿、ビーチから二、三十メートルもいっきに登り建つ岸はオーストラリアのグレートオーシャンロードをも思い出させる光景だった。海にはオットセイが時々見られ俺らの注目を集めた。しかしながら英国は天気が悪いし寒い。冷たい風の吹く中ジョー、ラフ、デインと俺らは海へと飛び込んだ。その間フィンがバーベキューの用意をしてくれ寒くなった体をバーベキューセットを囲み暖まった。久々の肉はまた格段とおいしく食感もとてもよかった。ラフがサンマも持って来ていて焼き魚をもしてくれた。バーベキューが終わると皆でフリスービーやサッカーをビーチでして楽しんだ。驚いたのは潮のひき方、一メートルほどだった満潮時から三時間後、そこには五十メートルほどのビーチが何キロも続いていた。日が暮れるとキャンプファイヤーをして体を温めた。真夜中まで続いた会話は消え行く炎とともに穏やかに過ぎ去り、家路へと向かった。

次の日、ブリストルに向かった。体を休め、次の計画を考えた。それからの日々は、カーラとサイモンにバーベキューに誘われ、彼らの友達のうちでバーベキューをしたり、夜のブリストルの街と音楽を楽しみにジョーシュと外へ出たりして過ぎていった。チェスも楽しんだし、ポーカーもしたりして一週間ほど流れていった。土曜の夜はジョーシュが家の窓からゲロをぶちまけるほど飲んだ。三回ほどクライミングジムへと向かい、なまりきった体に筋肉痛を叩き込んだりもした。

2011年8月8日月曜日

ブリストルに本拠地を


グラスティングバリーフェスティバルの最終日から二日かけてカフェを片付け、ウェールズの北西海岸にあるフィンの親父さんの家に向かった。本当に小さな村にあり、辺り一面、羊の牧場と麦畑に囲まれ、穏やかな所だった。グラスティングバリーの混沌から抜け出し丸一日を自然に囲まれて親かに過ごした。次の日、後かたずけの後ブリストルに向かい明日の、セント ポールズ カーニバルに備えた。ブリストルはイギリスに南西にあり、小さい街ながらかなり賑やかだ。至る所にストリートアートが描かれ、皆活気に満ちている。ロンドンと違って、すれ違う人たちと笑顔を交わし合い挨拶もする。ここでもかなりの多国籍の人々と会い、いろんな文化に出会った。

土曜日の昼頃、音楽が街から聞こえてきた。青空に恵まれたその街はセント ポールズ カーニバルにとって幸いの日となり街中をお祭り騒ぎへと変えていった。フィンと表へ出てみると、大通りは人波に溢れてい、白人から黒人、アラブ系からラテン系、あらゆる人種の人たちがごった返し、露店と巨大スピーカーに囲まれた大通りはまた俺を混沌の最中に連れてってくれた。大きな公園に人だかりはでき、芝生の上で酒は進んだ。壮大なカーニバルは深夜へと続き街中を騒ぎ立てていたが、さすがに三週間の疲れがでたせいか、知らぬ間に誰とも知らぬハウスパーティーのソファーで眠りへと着いていた。フィンに担いで帰ってもらい騒ぎ立てた夜は静かな朝を迎えた。

二日酔いは皆同じく、紅茶を飲み飲み、昼はだらだらと時間を潰した。夕方まじか、サイクリングがしたくなりラフを説得し重い頭を街へと向けた。ラフに高台にある高原へと連れって行ってもらいブリストルの街を見下ろした。まさにデジャブー。見下ろした光景はジブリのような街並に囲まれ魔女の宅急便を思い出させた。そのすがすがしさの心地よさ、しっくりとくる緑溢れる英国は絵に描いたように夕日に燃え、頭の中に焼き付いた。帰り道パブで一杯ビールを嗜み岐路に着くと、偶然にも偶然、ブリストルという小さな街の小さな路地で、メルボルンで働いていた頃、隣で働いていて、俺のインドネシア行きのチケットを予約してくれたオーストラリア人の子、カーラと再会。お互い驚きまくった。会話は弾み何をしているかと訪ねると、もう一年もイギリスにいるという、仕事もやめて今はフェスティバルを楽しみたいと。そこで次のフェスティバルでもう一人ウェイトレスが必要だというとやってみたいと言ってくれた。話が進んだ後、家に帰りフィンと話をし、カーラは次のカフェタンゴのメンバーとして仲間になった。友達の輪とはおもしろいものだ。予想もしてない場所で、予測もできない出会いに会い、まるで予知されていたように事が起こる。まだまだ旅は長い、次は何が起こるだろうか。

それから数日、ミニバンを買いたくインターネットに取り憑かれ頭を悩ました。が、結果保険という壁にぶつかりしばらくの間はあきらめる事にした。家でバーベキューしたり、ギターを弾いたり、平坦で穏やかな一日がしばらく続いた。
フィンと共に次のフェスティバルに向け食材の買い物に行きウェールズに向かった。フィンの姉のトレイラーを牽引しウェールズの高速を時速100キロで走っているとき車が突如揺れだし、俺らが乗っていたバンが急に高速をはみだしたり対向車線に滑ったり。フィンを見るとその横顔はマジやば、下り坂で牽引車に押されだしたのか止まる事ができない。ドーンと大きな音がしトレーラーが外れた。フィンはバンを車線に戻し道路の隅に緊急停車。ホットした一瞬だった。幸いにも対向車はなっかたし、横転も真逃れ、大きな交通事故にはならなかったがトレーラーは再起不能。レッカー車を呼び高速の真ん中で二時間ほど頭に登ったアドレナリンの静かな脈拍の音に、生きている実感を感じた。

2011年7月20日水曜日

グラスティングバリー フェスティバルの経験


グラストンバリー

早朝から慌ただしく荷物をまとめ、眠い頭にコーヒーを流し込む。小さな車に入るだけの荷物を押し込み、グラスティングバリーへと向かいだす。軽い音楽をかけ流し、高速へ向かう空は薄暗い雲に囲まれ雨を予報してくれる。早速か、といわんばかりかイギリスの天候には悩まされる。降り注ぐ雨は、走り行くタイヤのしぶきと共に深く、強くなっていった。幸い、目的地に着いたときは小降りになり薄らと明かりが空から溢れた。グラスティングバリーフェスティバルは農家の広大なファームで行われる。雨上がりの傾く太陽に照らされた緑色に輝くその大地は美しく、そこ全体がフェスティバルと化すとは信じがたかった。
カフェのオーナー、フィンと軽く挨拶をし、ジョンから借りたテントを張ることに。開けてみて驚くのがそのサイズだ。聞いてはいたが、中に入るとより小さく感じる。133Cm x188cm、のエアベットが少しのすき間を残しぴったり。体を斜めにしてぎりぎり荷物と寝るスペースを確保。かなり甘く見ていた。それでも最大の失態は地面、聞いていた通り地面は泥だらけ、しかしここの泥はさらに特別に重い。まさに沼と化した漆黒の地面に足は取られ、濡れた足の指先に寒さがしみ込む。さすがに長靴を買いに次の日向かった。五日後にはフェスティバルが始まる。次の日からその準備と、仲間との交流に日々を楽しんだ。

グリーンピースのクルー100人から150人をまかなう仕事は楽しかった。毎日冷蔵庫を開け次の日の晩飯を考案、創作に、計算。無駄の出ないよう、労働者を満足させるよう、作らなければならないのだが、肉は一切なし。工夫を重ね、たくさんの人から満足の言葉をかけてもらって料理の自身と、料理人としての満足を憶えた。毎晩、大きなたき火を囲みギターを弾いたり、話をしたりして時間を過ごした。一度あったバーベキューには感動、肉という食材がどれだけ尊いか感じた瞬間だった。

インドで出会ったデインとリサにここでまた会うことになり、お互い驚いた。またインドでクライミングを共にしたマイクがセキュリティーをしていたことにも笑いがでた。世の中広かったり狭かったりするものだ。

俺らのレストランは カフェタンゴ、そのクルーは他ならず楽しい連中、フィン、ラフ、ジョー、ジョン、テリー、オウエン、ベン、アメリア、エミリー、デイジー、ハナ、によって構成され活気のあるチームだった。毎日音楽をかけながら、踊りながら料理をする。日が暮れれば飲みながらかたずけをする。フェスティバル用のマーキーを張り、キッチンを作り上げる。広告用のメニューのデザインと看板を任され、二日間ペインティングに費やした。大きなキャンバスは初めてで楽しかった。ハナ、サラ、マラ、エマ、ルイサとベンの手助けにより楽しいペインティングだったが名前に困った。

ある晴れた日、暇が空いた時間に開催地を歩いて回ったが、その広さに驚いた。なんでも土日には世界で9番目に人口密度の高い街になるとさ。毎日、その街は拡大していき、建設の速さに圧倒された。シャングリラと呼ばれる場所には、宇宙船や鉄でできた、でっかい顔、飛行機、吊るされた車、などなどいろんなものが並んでいた。グリーンフィールドと呼ばれる場所ではストーンヘンジがありたき火がともされ、24時間たくさんの人たちが戯れていた。

記憶が風船の中に詰まり飛んでゆく中、開会式をあげる如く、ストーンヘンジフィールドで花火が上がった。何千という瞳は一点に集中し、光り輝く空に何を見たのだろうか。瞬く間に始まった爆発は光と音の速さに別れ、頬に伝わってくる。静寂。会話が途切れたせいだろう。騒がしかった群衆がのめり込む美しさは時に音もなく脳裏に焼き付く。どのくらいたっただろう、穴の開いた長靴に冷たい泥を感じ、指先にできた水ぶくれの痛みとともに、沼にはまった重い足を前へと、バーに飲みに行く。暗闇の中声を掛け合い、パーティーを求め彷徨う俺らの姿は滑稽だったろうか。この街では、セキュリティーが酔ってない者を通報する。真剣な顔をしている者は怪しく犯しい。そうやってグラスティングバリーの初日は始まった。

翌朝、日に照らされたテントの蒸し暑さと、泥だらけのベットの感触、五日目の狭い空間の異臭に目が覚めた。心地よいシャワーを浴びカフェに向かう。一般人がフェスティバルに入って来た。次の日には二十万人近くなるそうだ。陽気な群衆の中グリーンピースフィールドは準備が間に合わずまだ閉ざされたままだったが、次の日の支度に追われ俺は忙しくまな板にリズムを合わせていた。100人分の準備とさらに100人分の用意を終えるとヴォッカオレンジに手を出し気分を休める。日が暮れると皆でバーに行き、騒々しい音楽と賑やかな群衆の中、酔いしれる自分を堪能し一日が過ぎていった。

金曜日

更なる数の人がこの街と呼べるフェスティバルに参加して来て、いよいよ賑やかになって来た。グリーンピースフィールドもオープンし溢れる人だかりに並べられた数々のアートやイベントが満喫されていた。濡れた地面は足踏みされるたびに深く、粘り強くなっていく。時に人は埋まりいく地面に足を取られ、抜け出せずに助けを求めることも。数々の長靴が前の晩にその泥沼に吸い込まれ、次の日の朝、日光とともに泥沼から顔を出していた光景はかなり独特な景色だった。夜は向いのカフェで働いていたベッキーとともにヴォッカを片手にいろんなイベントを見て回り、足の埋まる泥沼の中踊り明かした。

土曜日

いよいよフェスティバルも最高潮に達し、ミュージシャンのラインアップも盛大になってきた。日曜だったかもしれないが、暇ので来た昼にザ ゴー チームを見に行き感動した。日の沈む頃皆でケミカルブラザーズを見に行ったがトイレに行っている途中仲間とはぐれ、デイジーと二人で見物。人だかりのせいでかなり離れた場所から見ていたが、巨大なネオンライトのスクリーンは俺らを音の世界へと連れて行ってくれた。その後一緒にアーケイディアという広場に向かうことになり荒れ狂う泥沼の中先へ進むと交通規制ができていた。なんでも規制人数以上を広場に入れたくないらしい。デイジーは気にせず近くのフェンスを飛び抜けた。一瞬、呆気に取られたがもちろん俺も気にせずフェンスをジャンプ。一つ林を抜けると巨大な鉄の塊が火を噴いていた。熱が露出された肌の一部に熱く広がる。そして音楽。ステージは群衆の真ん中をぐるぐると回り、DJが重いベース音の羅列をまるでオーディエンスを操るがのごとく飛ばしていた。ステージの上に登り、疲れきった足にエクスタシーが走り、二人で空が明るくなるまで踊り通した。

日曜日

今までで最高の晴天を迎えた最終日は、その輝かしい青空とともに終局を演じ始めた。登り詰めた雲隠れの山頂に、新たな一角を発見した登山家の疲労と喜び。ほぼ一週間以上ろくな睡眠も取らず飛び明かした驚喜は限界を超え疲労さえ感じさせた。だがここで終わるのはイギリスではない。日曜がメインらしい。日中、暇を見つけ日のあたる丘に登り昼寝をし夜に備えた。カフェは10時に閉め、皆集まりだした。共にアーケイディアに向かう。深夜12時近くに辿り着いたそのステージで俺が目にしたのは壮大なサーカス劇と炎に包まれたダンサー。白いドレスに身を纏い、響き渡るベース音を切り裂くように鮮烈する美しいヴァイオリンの音色。凍えていた肌に焼き付ける灼熱の砲火劇。新たな夜を告げるにはあまりにも壮大で、美しかった。乱れる群衆をかき分け見つけた場所にはグリーンピースとカフェのほとんどのメンバーが顔を揃えていた。地面はよく乾き、感覚のない足腰にうまくリズムを踊らせた。音色は輝く一方、感覚は底をつき旋律だけが頭を突抜ける。言葉のない会話に笑顔を向け、永遠と感じられる壮観は永延と透き通る。まさに最終劇に相応しいショーだった。はっきりとして来た景色に気づけば空は明るく、大勢だった大衆は溢れ帰るゴミとすり替わり、まるで狐にでも化かされたような朝もやに包まれて自分に気づく。カフェの仲間はまだ回りにいて、朝日を見に行こうと話をした。何人かは朝日を迎えに丘に登り俺は疲れきった体を小さなテントに埋づめた。

月曜日

蒸しかえる灼熱のテントの中で異臭と嫌気に目を覚ます。心地よいシャワーを浴びると爽快な日差しが歓喜と驚喜を思い出させてくれて腕を空に伸ばした。目くらいが少し、足腰の痺れがずっしり、唐突に筋肉が起きるのには時間がかかることを教えてくれる。乱用されきった胃に朝飯をティーと一緒に流し込む。たくさんの人たちが出口に向かってバックパックを引きずって向かって行く中、ティーを片手に眺めていた。記憶が頭の中を過る。笑いがでてくる。人生で初めてフェスティバルというものを経験したが、これほどまでとは想像もつかなかった。まだまだ好奇心は旺盛。次に行くのもが楽しみだ。

2011年7月19日火曜日

イギリスに飛んでみた


ロンドン

6月9日、インドからオーストラリアで会ったジョンの招待によりイギリスに到着。イミグレでギターを見せ、音楽家だと問題なく六ヶ月のビザ獲得。空港にジョンに迎えに来てもらい、早速、ロンドンに向かった。気温はインドに比べ、サンダルにティーシャツの肌に白い吐息が寒さを訴える。走る車の窓を開け見渡すロンドンは夏だというのに、曇り空の薄暗い空気により英国の独特な雰囲気を漂わせていた。
ジョンの姉の家がノッティングヒルにあり泊めてもらうことに、ロンドンの高級住宅街に四日、身を寄せることになりその日は一段落した。

次の日突然の水の変化によりか腹の調子を壊すはめになった。街は雨、薄暗さにシトシトと音を立てる路上には人影も薄く、ロンドンの初日のイメージをイギリスの噂の形とピタリとはまるパズルのように連想させた。

日曜になると、突然の太陽。ノッティングヒルマーケットがちょうどあり、輝く街中に忽然と現れた群衆と露店により中心街は騒がしさに包まれ、活気のある路上に一変した。皆、笑顔に満ち、好奇心旺盛の顔ぶれで溢れ露店を回っている。多彩な音楽が四方から流れ、路上では数々の音楽家達がパフォーマンスを。見慣れたアジアの商品から、想像もつかない物体。路上を埋め尽くす数々の香りが俺の足を露店へと導く。おしゃれなカフェが立ち並び、たくさんの人がティーやビールを楽しんでいる。そこで気づいたのが多国籍文化、ロンドンにはたくさんの人種がいる。これほど数多くの人種を同じ通りで見ることが他にあるだろうか。聞こえてくる言葉に耳を傾けると誰しもが外国語を。肌の色から服装まで様々だ。グラスティングバリーに向け買い物に、寝袋、シューズ、靴下など必需品を購入。イギリスの物価は高い。イギリスの貨幣、パウンドをインドのルピーに換算し毎回驚く。ロンドンでは天気がいいとイギリスにいる住民は活動的になり、これほど印象が変わってくるらしい。夜九時半、驚くことにまだ夕日により街中が明るい、時差ボケというより昼ボケだ。イギリスが思ったより北にあることを目で感じた晴天の一日だった。

2011年7月1日金曜日

インドに魅せられて 最終章


バクソ

12日間のバクソ生活は長過ぎたかもしれない。バラナシ行きを断念。バクソの心地よさと、45℃を毎日超えると言われる南に向かうことの気怠さが、今の後悔と屈辱に値するのかと思うと胸が痛い。イギリス行きを待ち、特に何もすることなく毎日が過ぎていった。それがバクソの思い出かもしれない。しかしながらまたいつかこの土地に帰りアクセサリーの作り方を学び瞑想に浸りに帰りたいと思うとバクソは心地よい場所かもしれない。ここに来て頭に入ったことは、人は後悔なしには行動できないということだ。決意は常に問われ、後悔は後に来る。しかしながら後先を予測しながら戸惑ってばかりでは結果はついてこない。今はイギリスに滞在、大きな後悔は期待以上の経験に埋め帰られ、またいつでも帰れるだろうと前向きな気持ちと、この機会を逃さないでよかったと新しい冒険に目を向けている。

とりあえずバクソ、ここでは毎日ギターを片手に、ヴォッカを煽り、酒と草に溺れ毎日が淡々と過ぎた。バクソは上り坂一つの小さな場所で、カフェと装飾屋、音楽と瞑想の盛んなエキゾチックな場所である。青々した山に囲まれ、マックレオ ガンジとダラムカの間に位置し、一時間もあれば全てを知ることができるだろう。しかしながら誰もがこの土地に長居し、だらだらと生き続ける訳は、インドという凄まじい環境から抜け、猛暑と混沌から離れることができるからかもしれない。もちろん俺がこの場所でゆったりできたことは言うまでもない。

毎日、早朝に目が覚め、ストレッチとジャグリングに励み腹を空かす。
坂を下りカフェに向かい人の群がりに混じり朝食をともにする。
ハシーッシが回ってき時間が止まる。
ギターを弾いたり、映画を見たり、会話したりし、時間が過ぎる。
馴染みのカフェを回りながら、馴染みの顔に挨拶する。
チャイを求め次のカフェへ。
いつの間にか日は沈み、馴染みの場へギターを片手に坂を登る。

ベルギー出身のローラ、マニラから共に旅をしてきたが共に演奏をバクソで始めた。彼女の声はそこにいる皆の注目を引きつけレストランは静寂に包まれる。演奏はいつもアドリブ、少々のミスはおかまいなし、ジャズとジプシーのリズムにローラの奥行きのある歌声はインドの真っ赤なカラフルなカフェに虹のように流れ込む。静寂は盛観に代わり永遠に感じた演奏は幕を開ける。凛とした圧巻は喝采と共に観衆は意識を取り戻し、その場の雰囲気は活気と雑談に包まれ息を吹き返す。最高のパートナーだった。

二週間はつかの間に過ぎ、皆との別れを告げ猛暑と混沌の街、デリに向かうことになった。




デリ

早朝五時頃だろうか外の騒がしさとともにデリの街に着いた。思っていたより楽しかった。夏場のデリ、天候も45度を超える灼熱の状況の中、毎日街を歩き回りショッピングに明け暮れた。インド料理もおいしく今までで一番安かった。ゲストハウスはかなり汚く、蒸し暑く寝るのには苦労したがそれ以外は生活できる場所として思い出に残る。五日とかなりの時間を過ごしたがイギリス行きの興奮とインドへの別れ惜しみに苛まれ、その騒々しい生活を堪能した五日間だった。旅疲れのせいか、空港へはタクシーを利用、楽に辿り着いた。早朝四時、飛行機に乗り込むとさすがにわくわくしてき、疲れきった体にアドレナリンが回り、上昇気流とともに真っ青な空に包まれイギリスを夢見た。

2011年5月31日火曜日

インドに魅せられて 3


ビネカル

後悔、、、 間違った場所に来た、そんな気持ちになった。乾ききった土地の真ん中にこんな大きな都会も存在できるのかと関心はしたものの、騒音と公害に囲まれる日々は旅人にとって苦痛だ。ジャイサルマーに残るべきだった。ラクダツアーに参加し、一日を砂漠で過ごしたが、そこそこだった。ジャイサルマーでツアーを組んだ人たちは感動と衝撃に満たされていたが、俺は疲労と落胆に落ち込んだ。街の端に安宿を見つけ、数日をビデオの編集に打ち込み、親への手紙を書き、サフロンティーと共に送った。
そんな日々の中ビカネルに立ち寄った理由、街の名所、はあるお寺にある。世界で唯一のネズミを神とまつわるお寺。そこで目にした物は驚きに目が眩んだ。ネズミを神と称し食べ物を与え、可愛がり、敬っている。寺に入るとその匂いに体は包まれ、裸足で入らなければならないおかげで溢れるネズミの糞の感触に鳥肌が立つ。文化とは面白い。聞いた話によるとそこにはネズミ専用のシェフが存在し、信仰的な人々は地べたに横たわりネズミと戯れるらしい。
落ち着いた日々は緩やかに過ぎ、アミリトッサーに向かった。




アムリトッサー

午前四時、陽も出る前に大声に起こされ、10時間以上のバス旅に疲れきった頭に入ってくるかけ声に混乱した。バスを降り、怠い体にチャイを流し込み安宿を訪ね回りリクシャーに飛び乗る。ドミトリーを見つけもう一眠りした。
熱気とともに起こされる体は一段と重く、汗によりベタつく肌は一日の始まりを心地よく迎えてはくれない。六人部屋のドミトリーには俺独り、真っ白な壁と高すぎる天井がそのただ広い空間を孤独が埋め尽くす。この街にも人はいないのかと不安に横たわりながらも前進するしかない選択肢に疑問を憶える。シャワーを浴び気分を一掃させると青空と微風が肌に通り元気がでた。ゲストハウスのカウンターに向かいこの街の情報を手に入れると早速街に出てみた。交通量の多さにまず驚き、埋め尽くされる排気ガスと騒音の中、朝食を探しに歩いた。
こんな始まりの中、街の見所ゴールデンテンプルには少し期待を抱いていた自分に30ルピーのタリを流し込む。Golden templeの近くまで歩くとさすがに人ごみに悩まされ始めた。いくらかかるのかと心配した入場料には無料という驚きを隠せなかった。そして扉をくぐるとそこには金色に輝く雄大な寺が水の上に建っていた。あたりをぐるりと回りその日はおしまいにした。
帰って部屋でビデオの編集をしギターを練習していると何人かのバッパーが入ってきた。待ちに待った来客に会話は弾み皆で乾杯した。Golden temple の近くにただで泊めてくれる場所とただ飯の話を聞き,そこに次の日向かうことに決めた。
一部屋に三十人近くはいただろうか、幅一メートル間隔でシェアするベットに荷物を置き、パキスタンボーダー セレモニーに向かった。
旅仲間は楽もしい。セレモニー自体は不思議なものだった。国境沿いにお互いの国の音楽を流し、インドの方は女性達がナイトクラブのような雰囲気で踊り男どもがそれを眺めているパキスタンの方も負けじと大声を上げ、なにやらやっていたがあまり見えなかった。お互いこんな物かと笑い、寺に帰った。
Golden temple の中のただ飯の場に行くと、慌ただしい皿洗いの音に驚いた。何千というアルミ製の食器が飛ぶように片付けられていく。流れ作業の混沌の横のドアの中に人が吸い込まれていく。写真も撮る間もなく食器を取り渡され、部屋へ連れてかれる。そこには何百という人が地べたに座り食事をしている。押し流され、自分の場所を確保し座り込むと、すぐさまに大きな鉄製のバケツを持ったインド人が尺でダルを注ぎにくる。その速さはまるで家畜でも世話してるようにお粗末だがこの人数だから、納得はできた。皆驚きの表情を隠せず口にしたタリは今まで食べたインド料理の中で最高だった。とにかくおいしい。何度おかわりをしてもいい。最高だ。腹がはち切れるほど食べている最中、急に回りの人々が立ちだし、部屋を流れるように出て行く。掃除の時間だ。水が石床に撒かれ踊るように現れたモップ達に拭かれるように外に出ると皆で感想を話した。その後キッチンを見に行き驚いた。騒音と共に洗われていく食器の隣で、風呂のように大きな釜にカレーが湯気をたてていて何百というチャパティがホットプレートの上を舞っている。何百というカボチャが微塵に切られて垂井の中に投げ込まれていく。これを毎日二十四時間やっていると聞くのだから感嘆に目を取られた。
夜見る Golden temple はまた一段と輝しく賑やかだった。参列するインド人に混じって中に入るとそこには一日中演奏し続けている演奏家達と幅が一メートル以上もある大きな本を読んでいる僧が彩られた寺院の中に座っていて、皆それを拝んでいた。屋上は人も少なく心地よい風が吹いていた。
皆床についたが俺は一人で Golden temple の敷地内で読書に耽った。そこには何千という人たちが地べたに横たわり眠っていたが、物売りも物乞いもとくになかったので静かに過ごすことができた。
次の日、回りの勧めで北に向かうのを止めマックレオ ガンジに向かう決心をしバス停に向かうとそこには溢れんばかりのバッパーに出くわすことになった。どうやらマックレオ ガンジはヒッピー達のパラダイスらしい。バッパーだらけのローカルバスにはいつもとは違う、いきいきとした雰囲気があり気分も高ぶった。何人かは他の街でも出会ったことがあり。お互いの経験を話し合い楽しいバス旅になった。標高二千メートル以上のマックレオ ガンジに向かう道のりは、うねり道でかなりのデコボコ坂でもあったが、時間が経つに連れて気温が下がり、空気も澄んできて、皆、興奮しだした。緑の山々に囲まれた道森は壮大で山の頂上に白雪が見えたときは感嘆に息をのんだ。少々波乱もあったが午後七時過ぎ頃だろうか夕日の沈む緑豊かな山々に囲まれてマックレオ ガンジに辿り着いた。




マックレオ ガンジ

夜行バスの揺れる中、俺はまたガンジに向かっている。バシッシに二週間滞在の後ここに帰るきっかけになったのは恋心か音楽かは、はっきりしないが共に行くエリスに気がないことも反論はできない。とにかく今は三週間前の出来事を話そう。
アミリットサーの後マックレオ ガンジに着いた後、カナダ人のジェニとロブ、シェインと息統合し部屋をシェアすることになった。着くなり、酒が必要だなといいだしたカナダ人は元気もいいがノリもいい。疲れきった体にウィスキーを流し込みギターを手に取ると皆賛同して歌いだした。ゲストハウスの一部屋の中で始まった歌声は笑い声とともに皆を一つにまとめた。心地よい雰囲気は音楽が作ってくれる。特に皆の音楽のテイストが似ていると面白い。拡張する声音の合間に見出した友情はアップテンポするリズムにより盛り上がり時間という実在のない存在を忘れさせる。しかしながら空腹という原始的な感覚は動物である人という現実を比喩させる如く、無視することはできない。12時を回る直前だった。慌てて飛び出した街にはまだ光もまばらにあり、インドという雰囲気を忘れさせた。音楽も聞こえてくる。近くにあったレストランに入り簡単に晩飯をすませると帰り道、バーから出てくる人だかりと遭遇した。俺のギターを見るなり、ストリートパーティーだと騒ぎ立て道ばたへと飛び出した。パーティーは始まった。ウィスキーのボトルを片手に路上で大はしゃぎ。今思えばよく苦情が出なかったもんだと笑いが出る。三時まで続いたセッションは眠気とともに一足づつ闇に消えていき、澄んだ冷たい空気に囲まれた静寂に包まれた路地に一日の終わりを凛と伝えた。
マックレオ ガンジは観光の村だ。しかしながら、ゲストハウスにレストラン、土産屋と出店に囲まれた観光化されたこの村に居心地のいい雰囲気を与えてくれるのはチベットの文化に影響を与えられた涼しさによる。しつこい物売りもいなければ、必要に追っかけてくるインド人も少ない。インド料理に飽きてきた俺のこの頃には最適な場所となった。
この日、昼食の後に向かった滝にも驚かされた。雪解け水から流れてくる透明な水は突抜けるように冷たく、飲むこともできた。滝の上に居心地の良さそうな場所を見つけ四人で涼しい快晴を数時間満喫した。
その夜は四人で映画「ソーシャル ネットワーク」を見、ジェニに俺のドレッドを直してもらった。
水道水を飲みだしたせいか、次の日下痢になり苦痛と困難に苛まれた。バクソで時間を潰し夜行バスに乗り込み、バシーッシに向かった。もう少しバクソに滞在するべきだったと後悔したが時は遅くバスの中で腹痛に悩まされた。




オールドマナリ

午前五時、朝露の中マナリに通着した。肌に滲みる冷たい雨と、骨まで突き通る寒さが俺を襲った。ティーシャツしか持ってなかった俺には凍えるような気温の変化だ。バシーッシに向かう予定だったがリックシャーが動いてくれない、そこで隣の街オールドマナリに立ち寄ることにした。観光客の多いこの街はイズラエル人の天下だった。ハーシュに溺れ一日をゲストハウスで過ごす人も少なくはない、まぁ環境上そういった旅も楽しかろうが俺には合わずジャケットを購入したのちビデオの編集に時間を費やし次の日バシーッシに向かった。



バシーッシ

観光地だ。想像以上の観光化された場所だったが気に入った。雪山に囲まれたこの町は居心地もよく、温泉が一つありクライミングを目的とする俺にとって長居をする場所として楽しい場所になった。ここでの生活はおよそ二週間。始まりは滝を見に行くハイキングだった。二、三十分ほどのトラッキングは晴天の青空に囲まれた青々した山下の中、真っ白に光る山脈の頂上に圧倒されながら辿り着いた壮大な滝により爽快な終焉を迎えた。
途中にあるカフェ、ハウスに立寄、チャイをたしなめるところも一つの見所だ。
インドの旅に終幕を打つ、ある出来事が起こった。それはイギリスの友達 R ジョンからだ。ジョンは俺がメルボルンにいた頃数ヶ月旅人として俺らのシェアハウスに滞在した。俺がヨーロッパに来ることも知っていて頃合いかと声をかけてくれた。イギリスでバイトの手伝いをしないかと言ってくれた。しかもその場所と着たらグラスティン フェスチバルだ。イギリス人なら誰でも知っている英国で最大の音楽祭だろう。一度は行ってみたかったところである。少し戸惑ったが受け入れられるオファーは見逃しては後悔する。それからは三、四日ほどインターネットに縛り付き航空券の予約とバイト内容、ビザ関係などなど忙しかった。ジョンが空港まで迎えに着てくれる言ってくれ、家もジョンの家に滞在さしてもらうことにした。イギリスはとにかく生活費が高い。だからかなり安心してイギリスに旅立つ予定が成立した。それからというものヨーロッパに向かって気分が高ぶりインドの旅に対して興味が薄れ、インド北部とダージリン、ネパールは断念した。旅とはこんなものだ。気に入った奴らに出会えば共に行動し、何か起これば予定は無限に変えられる。と、余談はまた後にして、バシーッシだがこんな気分の中、数人のクライマーに出会いクライミング生活が始まった。

ソラングというバスで三十分ほど離れた場所にボーダリングロックがゴロゴロしている場所があり、よく行った。

ほぼ毎日、お馴染みのレストランに行き夕食を共にし、いろんな話をした。

映画を見に行った日もある。

日本食を食べに行ったり韓国料理も楽しんだ。

ベルギー出身のハナとローラと一緒にコソールへバイクドライブへ連れってってもらった。コソールは小さなヒッピーの集まる場所でイスラエル人の天国だ。トランスの音楽があちらこちらから聞こえた。そこでは小さなトランス フェスティバルがあり夕焼けとともに盛り上がるミュージックと共に久々に聞く大音響の中、ステレオの前でみんなで踊り回った。加速するベース音の中、乾ききった喉に、ヴッカ オレンジを流し込み、光の合間に垣間見れる友の笑顔に相づちを打ち、空を飛べると振り上げた両手に乱射するレーザー光線に魅とれ、数時間という人生のごく一部で、歓喜に満ちてゆく喜びを感じた。
インドのパーティーは最悪だ。午後十時、おまわりさん達がやってきて、音楽はお開き。こんなことがあるのかと文句をいいながらも久々の音に埋もれた快感は充実していた。

次の日バシーッシにバイクで戻り疲れきった体を温泉で休めた。

ドライブ経験が二日というローラの後ろに乗ったバイクライドは険しい山道で荒れ狂うインド人の車に囲まれながら、あたふたと走ったローラに感謝する。道路はまだ整理されておらずデコボコだが、景色は雪解けの山々に囲まれ壮大だった。四時間ものバイクライドとなった帰り道の途中ガソリンが二度切れ、ヒッチハイクで助けを求めなんとかやりくりもした。楽しいドライブだったが事故一つもなく無事着いた今となっては笑い話になる。

バシーッシ最後の日もソラングにクライミングに行った。最後まで登れなかった二つの難関をクリアしたとき自分に対して成長と、達成感に浸り、ソラングに来てよかったと喜びに満ちた。最後まで根気よくサポートしてくれたマーカスとヤンに感謝する。

ドイツ人のマーカス、ヤン、スイス人のマーカス、地元に住むイギリス人のデェィブ、アメリカ人のテイラーに別れを告げバクソに向かって旅立ちはまた始まった。

2011年5月4日水曜日

インドに魅せられて 2


ジョドプール

この街は青色の建物に囲まれる大きな砦がある。石造の巨大なその砦は青々としたその街の象徴のように優雅にたたずんでいる。ここで泊まったヨギゲストハウスもその一つ、凛々しく青色に輝いていた。アリーナとヤコ、トーマスと一緒にシェアしたその部屋はまるで古くから伝わる伝統的な雰囲気に囲まれ、大理石でできた床により逸走高級感を漂わせた。屋上も感動するほどの絶景と居心地を馴染ませるクッションで飾られていた。
入り組んだ道には、数多くのティーショップが街を賑やかに活気づけ、色とりどりのサロンを扱っている店が華やかに街を彩っている。
街を歩き一つのティーショプに立ち寄った。そこで試飲したサフロンティーに恋をして思わず購入。他にも数多く試したが、どれもこれも品がよく香ばしかった。
次の日、ジョドプールのメランガル砦に見物に行った。丘の上にある砦に、急な坂を炎天下の中、息を切らしながら向かう。途中の景色も楽しみがいがあり、ゆっくりと。300ルピーとかなりの高額だがその甲斐はあった。雄大な建物はゆったりとした風と優雅に飛び交う鳩に包まれ、静かに歴史を語った。天空の城ラピュタを思い出させる街と砦だった。
この街では久々に鶏肉に出会った。ちょっと高級なレストランに入り食べたチキンティッカは格別とおいしくベジタリアン化された胃にどっかりと流し込まれた。酒屋をその街で発見、店にあった一番安いウィスキーとラムを手にジョドプールに乾杯した。
ジョドプールには四日滞在、途中出会ったニコとトーマスと共にジャイサルマーに向かった。



ジャイサルマー

インドでお気に入りの街の一つだ。インドに来る機会があるならばぜひ立ち寄ってほしい。そして砦内のホテルに泊まることをお勧めする。格安でしかも感動の絶景。どのホテルでも独特の優雅な雰囲気があり、家具のセンスもよく、落ち着いた部屋と風景を提供してくれるだろう。そして、ここの街の砦だけが唯一人が住んでいいらしい。小さいがその街の砦内の雰囲気はまさに中世時代のまっただ中、男ならまるで騎士にでもなったような、女性なら貴族の箱娘の気持ちにでもなり浮かれるだろう。ロマンがある。入り口の門にはたくさんの物売りがいてかなり騒がしいが、中はとても穏やかで居心地がいい。この街では特に何もすることはないが雰囲気を味わうには最高。
街全体は二時間もあればぐるりと回れるほどの小さな街で、その隅に小さな丘がある。10分ほどで登りきれるその場所から、夕日を楽しむことができ、夕方になるとたくさんの観光客と物乞いによって賑やかになる。夕日とともに子供達が歌を歌い、インドの民族演奏家が音を奏でるその丘で、一つの家族に会い、手作りの楽器を観せてもらった。その後その家族の家へと招待され、チャイを共にインドの音色を奏でてくれた。ドアもトイレもない、水も住所ですらないそのスラムにある小さな一軒で15人以上の大家族を支える男達は愉快ながら逞しくあった。不思議とテレビがあることにインドのテレビ文化に感動すら憶える。楽器と文化、歴史と家族についていろんな話をした。15の娘は一度しか会ったことのない相手と既に結婚が決まっていたり、女性は客人達が食べ終わるまで食事には手を付けなかったり、何千を超える神様がいたり、とてつもない数の家族構成やインドの楽器の扱い方を教わったりした。次の日夕食に招待され晩餐を共にもした。
最後の夜、ヤコとアリーナに会い、夕食を彼らの砦内のホテルで共にした。ラジャスタンでは唯一のおいしいベジタリアンだった。そのレストランから、この街唯一の違法でないバングショップが見下ろされる。まさに神業、インド人が宗教「神」を信じる気持ちがわかる気がした。インドでは葬式や結婚式にアヘンやマリファナを吸う風習が残っており、未だにその文化に強く根付いているのもそのせいだろう。お酒は御法度、肉は神様、文化の違いとは末恐ろしい。夜、神々しく輝く街の砦の天辺で見下ろした光る音の中に大きな港を見つけ、時代を突き抜ける経験と、統一された精神の中で駆け巡る信仰心の深さに魅とれ、深く神々に感謝と、慈悲を浴びる自我の喜びに感嘆したのもこの街ならではの経験かもしれない。。。

次の日の朝六時のビカネル行きのバスに乗り遅れた。