2011年8月30日火曜日

フリンジフェスティバル エディンバラ

 ブリストル

次の日は友達とセントアンドリュー公園にバーベキューをしに行った。疲れきった体を公園の芝生で休め、一日中ぼんやり過ごした。火曜の午後だというのに、その公園は家族ずれや若者で賑やかだった。




エディンブラ

飛行機の予約をかなり前にしていたので、こんなに忙しくまた旅が始まるとは体にもたれた。ジョンに空港まで送ってもらい、また新たな旅路へと足を運んだ。
一時間前だったがそれは国際便だった。いちおビザがいらないし、貨幣も同じ、バスでも行ける場所なのにそこはスコットランド。甘く見ていた。添乗員に間に合わないから走ってと。慌ててゲートをくぐるにもそこには大行列。警備を通り越すとチケットに書いてあったゲートナンバー”6”に向かう。目の前だったが、場所が変わっている。全く正反対の場所となり20分も空港を走り回った。最後の乗客となったが間に合った。飛行機は時間通り出発。危機一髪だった。

空港からバスで街に向かう。世界遺産にも指定されているその街の光景は圧巻だ。城壁に囲まれたお城が堂々と高台に建ち、並び行く街の景色は落ち着いた色の石段で固められ、何百年という歴史を感じさせてくれる。

ここで疑問だが、日本人でコーチサーフィン (Couch Surfing) を知っている者はどのくらいいるのだろうか。これはインターネットサイトの事で旅人の中では、むしろヨーロッパではかなり知名度の高いサイトだ。旅をする者にとってはお勧め。その仕組みとは、メンバーになった者どうしで宿泊先を提供したり、されたり。行く先々で泊めてくださいと赤の他人に頼む事のできるサイトだ。宿代はとても高い。とくにヨーロッパは。着いたとしても何をしたらいいかわからない。隠れた名所や、地元のパーティーなどに参加できたり、観光とは違った経験ができる。そうやって旅人通しで助け合ったりできるサイトがある。エディンバラではちょうど街中でフェスティバルが行われていたので、なかなかあてが見つからなかったが、幸運にも最初の二日間だけ泊めてもらえる場所を発見した。予定は9日間滞在、とりあえず考える事は後にしてエディンバラに到着した。
街に着くとコーチサーフィングのホスト、リトアニア人のヴィクが迎えに来てくれた。家に案内してもらい荷物を預ける。おしゃれなカフェに連れてってもらってその日はなんかく過ぎた。

次の日ヴィクは仕事を探しに出て行ったので一人で街を探検することになった。それにしてもスコットランドの天候もかなり悪い。夏だというのに寒く曇りのち雨。街が石造りなだけ、よりしっとりした感じが気分を襲う。しかしながらエディンバラの街は英国の独特の雰囲気により、天気もさながら散歩をしたくなる。迷い込む道にはいつでも、おとぎの世界に連れてかれるような路地や、トンネルがあり気分が高くなる。勧めによって国立博物館を訪ねる。かなり広く迷子になったが、英国の歴史や、新しい技術などの展示物を見てかるく二時間が過ぎた。それからさらに数時間歩き、迷いに迷った末、ヴィクの家に辿り着いた。簡単に夕食をすませ、目的だったコレスポンダントのコンサートに向かった。Voodoo loungeで深夜から始まったコンサートは感動的だった。舞台裏にまで行きパフォーマーとも挨拶を。朝方までエレクトロスウィングの音で踊り明かした。意外にもここで一人日本人とも出会い次の日お茶を共に。

この日からは泊まる場所が確保されていなかった。ホステルを見たが十四、五人部屋で一日30パウンド近く、とてもじゃないが払う気はしなかった。考える事は後にして街に向かう。その日からは世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、フリンジフェスティバルが開催されていて街中が、観光客と路上パフォーマンスによって埋め尽くされていた。天気も青空がときどきあり、街はとても賑やかだった。コメディーショーをいくつか見て、夜はボンゴクラブへと足を向けた。その夜のクラブのテーマはConfusion is sex。みんな派手な服装やFetishなドレス、オカマさんや、レズビアン、下着のみの人たちから、妖怪にいたるまでいろんな格好で盛り上がっていた。幸運にもDJの人らと仲良くなり、ビールをおごってもらったり、CDをくれたりしてくれた。ダンスホールにはストリッパーからパフォーマー、ダンサーにシンガー、いろんなことが起こっていた。怪獣と妖怪にはばかれたホールを抜けるとステージには恐ろしい化粧をした化け物が踊っている、光り輝くミラーボールが曇りきったホールを突抜け、踊り狂う猛獣達を瞬間的に照らし出す。飾り物によって創られた人格の正体は、社会に隠された個々の本性をあらわに曝しだし、暴露された煩悩は狂喜に掻き立てられ、そこにいる者達は自分本来の姿への快感に満たされていた。ハウスパーティーにその後向かい、宴会は次の日の昼まで続いた。

誰の家ともわからず迎えた夕方は、パーティーの跡形だけを残し、静けさが部屋を充満していた。その家に住んでいる人に会って、もう一度挨拶。泊まっていいかと聞くと、今からロンドンに五日間仕事で行くから部屋を使っていいよと、快く引き取ってくれた。もう一人のシェアメイトも起きて来て、挨拶。仕事に行くからと出て行ってしまった。人がいいのか、信じられたものなのか、一週間の住み場は幸運にもそこで落ち着いた。とりあえず二日酔いの回復のためその日は一日中だらだらと過ごした。

次の日も雨。かなりの雨の勢いだったので家で、ギターを弾いたり、ブログを書いたり、絵を描いたりして過ごした。

少しばかりの青空と、温かい紅茶で迎えた次の日、街にフェスティバルを楽しむため向かった。友達がブリストルからエディンバラまで遊びに来るという連絡もあり、その日の予定は決まった。オーストラリアからの知り合い、カーラと会い、その友達ピートとメーガンと街で会い、Old city New town の間にある公園で一時間ほどのんびり過ごし、その日の予定をたてた。オーストラリアからのコメディアンがいくつか来ていて、それを見に行く事になった。街は青空が垣間見えるおかげでストリートパフォーマーや音楽家によって賑やかになり、歩き行く観光者たちによって路上は埋め尽くされ、活気に満ちた街に戻り、愉快な一日が始まった。なににしろ、世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、街中がフェスティバルの会場と化しているので、その範囲は相当広い。ウロウロしたあげく、一つパフォーマンスに遅れ、走ったあげく、入場を却下され、5ポンドのチケットは一つ無駄になくなった。でも皆で久々の運動だと笑い、次のショーからは気をつけようと、それからは事前に場所の確認をするようした。いくつかのショーを見た後、日本で5年間コメディーをした事があるというオーストラリア人のDave Eastgateに会い、話をしたあげくただ券を二枚くれた。カーラと見に行く事にし、時間を潰した後、見に行ったショーはそのフェスティバルの中で一番おもしろかった。それから何杯かビールを共にし、一日は楽しく過ぎた。

次の日も四人集まり、街を回り、コメディーショーを楽しんだ。その夜、カーラ達は次の日の出発が早いからと、夕日とともに寝床に帰り、俺も家路につき、サディックに電話をすると待ちに出ていて、ショーを見ているという。鍵を持ってなかったので一人では帰れない。とりあえず中心街に向かいサディックを待つ事にしたものの、どこにいるのか、いつショーが終わるのかもわからない。すると突然、目の前にサディックが驚きながら、今、途中休憩だといい、ビールを片手に現れた。たぶん中に入れるからと、ショーに連れていいてもらうと、警備員がいたがどうどうと通り侵入成功。ショーが始まっていた。驚いた事にそれはオカマショー。たくさんのゲイがパンツ一丁で踊ったり、曲芸をしていた。しゃべりもおもしろく、笑えた。ただ少し行き過ぎた場面もあり、驚きに圧倒された。それから二人で、Cabaret Voltaire venueに向かい、Drum & Bass のコンサートを楽しんだ。
迎えた次の日も雨となり、ブログやギターに時間を潰し、Brighton への旅路へと準備をした。あっという間に過ぎた、九日間だった。

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