2011年10月14日金曜日

夏の終わりに ベスティバル

明くる朝、簡単にラフの家族に挨拶をし、早々にフィンの家へと向かった。最後の荷物をまとめ、バンに積み込む。車の中は、はち切れんばかりにいっぱいになり、ドアを閉める事も困難だった。一晩ウェールズで過ごして、ブリストルへ昼頃でかけた。ベンとルーシーも仲間にくわり、彼らの荷物をさらに押し込む。夕食をフィッシュ アンド チップスで軽くすませ、夕方頃、ベスティバル開催地、南イギリスの島、Isle of Wight へと向かった。かれこれ四時間、フェリーの発着地に着いた。フェリーの出発まで一時間、仮眠をバンの中でとり時間を潰し、フェリーに乗り込む。島に到着はしたものの、24時間営業のTesco を探し、道に迷う。一時間以上、迷子になったあと、買い物をすませ、ベスティバルの駐車場に向かった。駐車場に着いたのは朝の四時頃だったろうか、朝の八時にはキャンプサイトに行く事になっていたのでテントも張らず、車の中でまた仮眠を。そして気づくと外は嵐。車が揺れに揺れて目が覚めたのだ。ちょうどこの日、アメリカで被害の出ているハリケーン、アイリーンの勢力がイギリスにまで届いたのだ。冷たく鋭い雨に、響き渡る豪風。その日、ベスティバルへの入場は禁じられた。また車の中で一日を過ごす。リンゴとポテトチップスでは腹は膨らまない。街に出て鶏肉と食パン、サラダを購入。サンドウィッチとバターで一日をやり越し、また車の中でじっと一日を過ごした。

嵐の過ぎ去った次の朝は晴天に恵まれ、少し海風の残る中、一日の遅れを取り戻すため慌ただしくカフェタンゴの建築へと勢を入れた。車から降りると、今まで座り続けて来た体はまるで鋼のようにカチコチに固まり、深呼吸が懐かしかった。皆、イロイロと仕事をしている中、俺はギターを弾き、歌を歌い、皆に音楽を提供した。一日遅れの作業だったがなんとかキッチンは出来上がり、後からやって来たものも含め夕食は作る事ができた。その日は俺とジョーとジョンは雑魚寝して寝て、また次の日朝早くから仕事に勢をだした。

初日、売り上げはそこそこ、今回はピザの他ジュースバーまでも出しているカフェタンゴ。メンバーもかなりの人数がいて外を回る時間ができ、フェスティバル自体を堪能する事もできた。約六万人ほどの参加者がいたらしいがこれもまた大きかった。キャンプサイトの端から端までは目は届かず、数えきれないほどのステージ。なんといってもベスティバルのラインアップはただ事ではなかった。
初日夜は、待ちに待ったSantigoldを見に行った。大きなステージだったので遠くからでしか見る事ができなかったが、その偉大さに圧巻された。何千人という観客が押し寄せてすき間なくステージを見上げている。Santigold の力強い音楽は真っ青なマーキーの中でネオンに輝き、反響によって響き渡っていた。荒れ狂う人だかりの中、皆ともはぐれ、記憶ももがれ、一日は過ぎて逝った。

二日目、開催地に着いて四日が経過しているが、朝起きて持参したインスタントヌードルを作りにカフェタンゴに向かう。その忙しさには驚いた。朝食がこんなに忙しかったのは初めてだ。腹を満たした所で仕事に取りかかりだした。ピザの方は結構準備はできていて、焦る必要はなかったが、朝に比べると客入りが少なく、呆気なかった。暇が開いたので休憩を取りシャワーを浴びにいった。
かれこれ一週間ぶりだろうか、溢れ出る体臭には嫌気がさしていたから祝福の瞬間だった。シャワールームは徒歩20分も離れた場所で、温水の方には行列ができていた。仕方なく真水で浴びたが、さすがに冷たかった。凍えながらもこれとないシャワーには感謝し、心地よくなった体は寒さを感じるよりも、新鮮な空気を吸い込んで、気分は爽快になった。
それから日射しの中、仕事仲間と布団を草原にしいてごろごろし、キッチンに帰った。夕方になるとまた待ちに待った”Danny Byrd” がコンサートをやっているので、友達に頼んで仕事時間を変わってもらった。この時間帯はみんな忙しく、”Danny Byrd”には一人で行くことになった。開催地のほとんど反対側にあったステージには早歩きで40分くらいかかったろうか、Danny Byrdが始まるぎりぎりには間に合い小さなマーキーの中でDanny Byrdは幕を開けた。
壮絶なDrum & Bass が始まると同時に、観客は踊り狂い、モッシュが始まった。自分もかなりいい気分だったのでモッシュに参加する。押し合い殴り合い、力のつく限り暴れ回る。汗が流れる、足が踏まれる、顔が殴られる、それでも中に入り暴れ狂う。誰が始めた事なのだろうか、暴力が音楽によって正当化される。だが誰も喧嘩をしに来たわけではない。その中に憎しみはなく、見る顔皆が笑顔に満ちている。ベース音がフェードアウトしていく。すると皆距離を置き様子を観る。中心には輪ができ、開ききった空間ができた。ベースが帰って来る。予測されている瞬間に、囲まれていた空間に飛び込むようにモッシュが始まる。思うがままに体を動かし、力の限りに音楽へと飛び込む。端から見たら阿呆だろうか?突き飛ばされ、輪からはみ出た。踏みつぶされ、靴が弾きちぎれた。疲れが出て、蒸し暑苦しさが押し押せて来た。40分くらいいたろうか、こじ開けるように人ごみを抜け外に出ると爽やかな風に吹かれ気分は爽快。その爽快感の中、靴はぼろぼろになっていて裸足でカフェタンゴへと帰った。
皆に、Danny Byrdの話を興奮した状態で話し、靴を見せ笑った。それから、時間帯を変わってもらっていたので閉店まで働く事になったが、体の中の興奮は治まる事を知らず、カフェタンゴの中でも大音響に身を任せ、朝の四時まで仕事に明け暮れた。

翌日も同じようにインスタントヌードルで始まり、忙しい一日が始まった。疲れは出て来ていたが皆も仕事には慣れだしていてうまく一日は過ぎていった。この日はDiploDJをやっていて皆で見に行った。Diploもまた最高のステージを演じてくれて、皆でハイになり、カラフルな夜は時間を失い、浮遊間だけが記憶の中に残っている。
途中、仲間と離ればなれになり、出店の飲み物を眺めていると、ジョーに再会。何千人という群衆の中で、驚きは歓喜に変わり、疲れ果てていた体はまたひとつステージを見に行こうと活気に満ちる。皆に合流してカフェタンゴに帰り、皆でラフのテントの中でつぶれるまで飲み続けた。

最終日はいつも。仕事は九時頃には抜ける事ができ、念願のBjorkを皆で見に行った。回りのものはあまり興味がなく、説得に時間がかかった。それでもBjorkが始まってすぐステージにたどり着き、その摩訶不思議な音域に身を委ねる事に。30分も経たないうちに俺の友達は飽きてしまい、場所を変える事になってしまい残念だったが、かなり遠くから見ていたのでしょうがないとは思った。
それからサラの友達Ben Howard を見に行った。アコギとチェロ、二組だけでの演奏はまさに美しく、疲れきっていた体に旋律に流れた。観衆はみんな地面に座り、ステージを見上げている。ゆっくりと体を揺らすものも。目を閉じて見えないものを感じ取っている観客も。まるで静かな海原を漆黒の森林で見つけたのごとく、雄大なメロディーは柔らかく流れていった。
音楽を言葉にする事はおもしろい。意味の分からない事を表現するように、感じ取った事は鮮明さに欠け、辻図間の合わない状況は言語を持たない会話になる。それでいて自己満足的な表現だと言われれば単純にそれだけのものであって、共感をいただこうと書く事はできない。それでも感じた事に対してなるべく正確に、正直に感想を書く事によって、この幻想的な情景は現れて来る。書く事が好きになった理由である。
と、とりあえず、Ben Howard のコンサートの後、気分転換に皆でレスリングをやった。しけた雰囲気と言われれば皆静まり返っていたのは確かだった。暴れに暴れた。ベンに腕十時を決めたときは歓声が上がり面白かった。それから小さなマーキーでエレクトロを聞き踊り狂い、醒める事なくまたラフのテントで皆で風船を飛ばして遊んだ。

月曜日、目が覚めるとそこはまるで別世界。ほとんどの参加者達は帰路に着いたのかあたりには人影はなかった。代わりにその光景は暴風によって飛び交う無人のテントによってあたかも違う惑星にでも来たのかと、一瞬錯覚した。荷物を失ったテントは軽くなり、転がるたびにまた一つ、また一つと巻き込みながら飛んでゆく。大木は色とりどりにテントで着飾られ、防風林は風よけよりも、ゴミだめとして外に被害のでないよう堤防のように立ちはだかっていた。暗くなるまで撤去作業は続き、夜中10時過ぎ、ブリストルに向けて帰路についた。
真夜中の高速は直線に長く、道路上の暗闇に並ぶ反射光は転々と永遠に続いていく。淡々とした車線に高速で走る車の中は眠気と疲れを猛烈に運ぶ。変わる事のない景色に、前進しているのかさえ疑惑さえ出て来る。不思議と動いている車の動力に魔力さえ感じ、まるで魔法の絨毯にでも乗って、魔法の世界にでも方位をとっている気さえした。現実と夢の最中で呼吸の音に耳を澄ませ、途切れる閃光の先に時空の旅をする錯覚を見た。万国博覧会の建築物達が辺り一面に現れて来る。運転をしていたはずのラフと隣に座っていたはずのオリーが道化化して飛び回っていた。暗いはずの夜空に眩しい光が入って来る。もっと奥まで行けそうな気がするけれども、その先には行ってはいけない場所があるような妖気が漂い躊躇という判断力が邪魔をする。朗らかな音楽が流れ出しサーカスが始まった。そこにはもう想像と呼べるよりもはっきりとした、楽園が走行中のフロントガラスには映っていた。
ふと目が覚める。ラフのだいぶ疲れが出てたようで、休憩所に一時停車、爆睡していた。休憩後、午前六時、ブリストルに到着。無事の生還と、ちゃんとした布団の中に入ったときの感動は今でも心に残る。

それから三日間は蜘蛛の糸が切れたようにだらりと垂れ下がり、枯れた植物のように水分を吸い上げる力もなく、ゆっくりと冬眠する熊のごとく体の回復に時間を費やした。




ブリストル

元気になってからも、とくに大きな変化はなかった。ブログにギターの練習、アニメを見たり、友達とバーベキューをしたりした。夏は終わりに近づき、天候も悪化する一方。寒さが増したので買い物にも出かけた。ジーンズを購入、着用していたら皆に驚かれた。新しい靴を買ったときも笑われた。ヒッピーな生活はそれにて終了。ウェールズの、とある田舎で二日間のFood festivalもなんなくこなし、ハウスパーティにもいくつか参加。マッシュルームなんかも時にはでてきたり、ゴルフにいったりもした。そして二週間が過ぎた。


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