イタリア
フェリーの中でドイツ人の旅人二人と出会った。頭についているドレッドの効果か、ドレッドを持つもの同士はよく挨拶をする習慣がある。そしてお互いの髪型を褒めたりもする。聞くことによると二人は大きなバンで、ヨーロッパをぐるぐるしているヒッピー達だった。バンの中に布団もキッチンもついていると、俺が最終的にやりたい旅のやり方だ。いろんなアドバイスをもらった気がするが、もう憶えていない。旅の話で盛り上がり、夜行フェリーの旅は退屈せず進んだ。
次の朝、その子らに近くの駅まで送ってもらい、また会えるといいねと、別れた。
アンコーナ駅でローマ行きの電車を待つ中、駅で買ったクロワッサンに感動した。ハムを挟んであったパンを食べて感動した。ツナを挟んであったパンに感動し、コーヒーを飲んをホッペの中で祝福が上がった。朝食でこれまでにない感動を憶え、イタリアに乾杯した。ドイツから南に下る旅に料理はおいしくなっていく。ハンガリーもなかなかだったが、クロアチアはさらによく、イタリアに来てこれまでにない感動と再会した。
ローマ
アンコーナから電車で数時間、ローマに辿り着いた。ローマではメルボルンで一緒にシェアハウスをしていたイタリア人のマテオと再会の予定だったが、マテオはローマに翌日に帰って来る予定なので、マテオの友達マータの所に泊めてもらうように手配してくれた。マータの仕事が終わるのが六時なのでそれまでローマを少し散歩した。ちょうどドレッドを直してくれる店も見つけたので、髪を直してもらう事にした。簡単に数時間がそうやってつぶれ、マータと駅で落ち合った。
マータとそのシェアメイト達と歓迎をしてもらい、さっそく安くておいしいワインが体に流れて行った。一本三百円くらいから始まるワインの値段。それでもおいしい。ディナーにレストランに連れて行ってもらい、パスタを食べにでた。イタリアのパスタは実にシンプルだと思った。しかしながら本当においしいパスタを食べさせてもらった日だ。
マータの家に帰り、ワインをあおって時間は過ぎていった。
次の日の夕方、マテオが迎えに来てくれて、マテオの家へと引っ越す事になった。マテオは映像関係の仕事をしている。カメラマンであり、ちょっとした映像監督でもある。マテオの仕事の様子を見せてもらった後、飯を食べにいった。連れて行ってもらった所はプレネスチーノ城と呼ばれ、もと収容所らしく、川に囲まれたお城のような場所だった。今はヒッピー達が溜まり住み、バーや小さなレストランがいくつかあり、面白い所だった。それから夜のローマをバイクで案内してもらった。
イタリア人の運転は世界最悪だ。信号無視、スピード違反くらいならともかく、マナーがなっていない。うるさいし、絶対に先を譲らない。駐車も適当、至る所に車が落ちている。マテオの運転もそんな感じで二人ノリのスクーターで100キロ、普通道路で出すものだから冷や汗が出た。今生きている事が不思議なくらいだ。
夜はマテオのアパートの下にあるバーで飲み、いろんな人に会った。が、イタリア人は全くと言っていいほど英語が話せず、会話には困った。
ともかく、次の日はそんなマテオの運転の中ローマの街を案内してもらった。コロシアムを見てバチカンを見て、サンタンジェロ城、トレビ噴水などみて観光した。いろんな所を見たが確かに観光地になるだけの理由がわかる場所だった。古代都市の遺跡、バチカン、雰囲気のいい通りに、広場、飽きる事無く一週間は過ごせるだろう。さらにイタリアン料理は最高にうまい。とにかくチーズにハムは最高だった。
夜は大学祭に連れてってもらった。大学のキャンパスを全て貸し切っての音楽祭だ。日本と比べると特に何がある訳でもなく、とにかく音楽がどこからでも流れている。ライブにDJが至る所にいる。エレクトロスウィングを見つけ、俺らは踊ったが、ビールを買うのに一時間近くかかるため、酔うこともできなかった。マテオは朝から仕事があるらしく、その日は早めに引き返した。
次の日には古代遺跡の一つに連れて行ってもらい、その公園で時間を潰し、街へと買い物にでた。出会った友達を皆集め、日本料理パーティーを開く事になった。イタリアではまだ一度もアジアンレストランを見た事はなかった。が、少なくともやはり、チャイナタウンはどこにでも存在する。あちこち回ったあげく、メニューはすき焼き、おにぎり、漬け物、枝豆、冷や奴、照り焼きチキンに決まった。これを十人前、晩餐会は二日後に決まり、その日はラーメンで過ごした。
この日はローマからバイクで二時間ほど離れた湖へと出かけた。ローマの騒々しい観光都市のノイズから休暇を取るが如く、ローカル達はここへ逃げ込むらしい。穏やかできれいな所だった。湖にはヨットがいくつか浮かんであり、家族連れや若者達がゆったり日を過ごしていた。そこでマテオの友達とも合流、泳いだりひなたぼっこして時間は過ぎていった。
そしてその後夜は皆でクラブへと足を向けた。それはまた面白い所で、クラブ内に公園のような敷地があり芝生が生えていて、ベンチなどあり皆くつろいでいた。まるでワンダーランドにでも迷ったかと思える場所も幾つもあった。
もう半年ほど前の事だからか、飲んだくれた後のことはあまり憶えていない。だが、次の日起きてすぐから晩餐会の仕込みをしていたのを憶えている。意外とおにぎりに時間をかけた事に心配を抱えたが、ツナマヨ入りや、ゴマ醤油、焼きサケ、などなど十人分は人気があった。照り焼きはもちろん、すき焼きは評判があった。漬け物も意外と食べきったが、冷や奴は味のないチーズだと半分以上残ってしまった。
とりあえず皆お腹いっぱいに満足してもらえたらしく、晩餐は無事終了した。
それから一日は特に何もする事無く、イギリス行きの飛行機待ちとしてゆっくり過ごした。
ブリストルにて
楽しんだローマを経て、夏をイギリスで過ごす事を計画していた。フェスティバルの楽しかった経験が忘れられず、はまってしまったのだ。友達からまた声をかけてもらったので前の月から計画していた事だ。だったのだが、、、
イギリス国境の通過は難しい。滞在理由だか、滞在期間、滞在場所、イギリスでの連絡先、イギリスを出る航空券、銀行口座、などなどたくさん聞かれた上、尋問室へと連れてかれた。そこでバックの中から全て調べられ、昨年イギリスで少しバイトをした事がバレた。失敗した。たった一言のミスでパスポートに一つペケがつき、滞在拒否。個室に8時間ほど閉じ込められ、警察官が連行しにきた。空港内で手錠までかけられて、銃を持った方々に連行。護送車に連れ込まれ、刑務所へと連れてかれた。本当に何も説明される事無く事は運んでいった。最悪な気分になった。牢屋というものは本当に冷酷な雰囲気を持っている。コンクリートの壁に鉄格子のついた窓、重たい鉄でできているドアが目の前で閉められた時、ありゃ〜と思った。スライド式のドアについている小さな小窓が開く。鋭い目つきのじいさんが紅茶はいるかと聞いてきた。ついでに晩飯も頼んだ。糞不味いカレーがでてきた。部屋にはふたのないトイレだけがあり、殺風景でコンクリの床が冷たかった。ベットもコンクリの上に薄いマットがあるだけ、寒かった。時間もわからず消灯になって、とりあえず明日のために寝た。
朝の六時くらいだったろうか、隣の部屋の囚人のドアをぶっ叩く音によって目が醒めた。「ケッチャップがほしい〜、ケッチャップがほしい〜」と、けたたましく叫び、聞いている方がおかしくなりそうだった。
それから警察官に連れられて、空港へと逆走。裏口から空港へ入る。飛行機はもう着いていた。乗客は並んで待っている。皆の前で三人の警官に護送されながら飛行機に乗り込むのはちょっとした気分だった。
とにかく、ローマに送り返される事で今回の事件は幕を開けた。
ローマ再び
とりあえずローマ中心街に帰り、頭の中を整理する。これからの予定と予算の再修正をしなければならない。本当に旅とは何が起こるかわからない。ホステルを見つけるのに三時間以上かかった。ローマは予約を取らなければホステルはほとんど満員だった。ようやく見つけたホステルで、イギリスでの愚痴をこぼしまくった。今となっては笑い話だが、あのときは結構真剣だった。とりあえず、ホステルで会った人たちと飲んだ。アイリッシュパブに行ったのを憶えている。
次の日はホステルで会った、アルゼンチン人のルチナと一緒にローマを歩いた。ローマを女の子と歩くと雰囲気はまるで別のもだ。おしゃれなレストランで昼を、雰囲気のいい通りを歩く、階段から坂道までロマンスの塊だった。橋の下でアイスクリームを食べ、手をつないで歩く。そうやって一日間ローマの休日を堪能した。
ルチナはイスラエルに次の日行く予定で、俺は予算上ホステルは一夜だけだったのでそこで短いロマンスにお別れを告げた。夕方マテオに迎えに来てもらい、マテオの家でまた世話になった。
ミュージックフェスティバルがプレネスチーノ城で開催され、ローマで知り合った皆で行った。古い石造りのトンネルの中にのグラフィティーがびっしり描かれていて、所々に訳の分からないオブジェが並んでいる。ロボットや鉄くず、バカでかい顔面などがあり、面白かった。ステージ全体が光るテレビのようで、音楽に合わせて発光していた。音楽もかなり良く、照明もいろいろと細工されていて、光り輝く渦の中で踊り明かした。
フェスティバルは二日間続いた。二日目の夜は疲れた体にケミカルが走り、音楽によって神経を奮い起こさせ、混沌と高揚に意識をゆだねた。
枯れ果てた体に水を流し込みながら、マータの家で一日休ませてもらった。皆から助言と推薦を聞いて旅の計画はなんとなくまとまった。それからもう一度皆に別れを告げて、北へ、フレンツェへと向かった。