2011年1月14日金曜日

でかい! 中国

サパから約二時間、ベトナムと中国の国境沿いにたどり着きベトナム最後の昼食を入れた。店の人は心地よく笑顔で周りの客にも親しくされた。問題なくベトナムを抜けると川をまたいで中国領へ、そして大使館の中に入ったときに雰囲気は変わった。入国のための列に入ると押し出され、どなられ、おばさんには中指を突き立てられた。通り終わるまでけっこう苦労したがそれは始まりにすぎなかった。無視、軽蔑、あからさまな詐欺、ベトナムに帰りたくなったほどだ。バスを探し一時間ほど歩きあきらめた。タクシーのようなミニバスに乗り二百メートルほど、歩ける距離にあったが誰も教えてくれなかった。ぼったくられた。そしてバス。目的地はyangshuoだがNanningを経由しなくてはならない。が、アルファベットでしか目的地を知らずかなり不確かな気持ちでバスに乗ったバスは「南京」行き。何となくNANningが 南ningと自分で読んで乗ったバスだ。質問をしても無視ばかり、笑顔をしても睨まれ、寂しかった。そして何も知らずに乗っていたバスはなんと南京まで34時間。席はベットだが横に肩幅がぎりぎり、足は窮屈に曲がり、高さが一メートルほど、三段ベットが上に横に、の真ん中に横たわっていた。真横に狭い通りがあったが人が寝ていてその人の足の匂いがきつい。さらに目の前50cmくらいにテレビが中国映画を放映。多分十作近く見ただろう。言葉はわからんかったが、中国映画はけっこう面白かったのでそれはすくいだった。途中のトイレにもあっと言わされた。溝だけがありお隣さんがこちらを向いて糞してる所で排尿。南京に着くとそこはでかい街だった。飯屋では相手にもされない。バスの人たちに騙され連れ去られそうになりながら、自分はどこなのか店にあった地図で確かめる。観光客なんて一人もいない。人々は生きることで精一杯だった。忙しさが人口の多さを強調するように人の波ができ、俺はそこに飲まれ息が詰まった。バス停で死んでいく赤ん坊を抱きかかえ泣いているおばさんを見た。自分の無力さと貧しさの非情さに胸が痛んだ。そこで六時間次のバスを待ち、Yangshuo 行きのバスが来た。そのバスでYangshuoで観光業で働くフランス人の女の子リンジーに会った。嬉しかった。言葉が通じる、心情がある、知性が近い、ただそれだけなのに人は友達になれる。たどっていた道があっていたのでほっとした。バスに七時間、Yangshuoの話を聞かしてもらった。Yangshuoに着くとそこにはライトアップされたけわだつ山々、古風な中国の雰囲気の道並み、カラフルなネオンサイン。アニメの中のようだった。リンジーと夕食をし、ゲストハウスまで紹介してもらった。たどり着いた所は、Showbitz innスタッフはとても明るく優しかった。挨拶をしとりあえずベットに入り寝た。

ヤンシュオ

とてもいいところだ。

この街にそって流れるリー川とその辺りの景色

サイクリングで川を上っていった先にはドラゴン橋、飛び込んだ。

ロッククライミングで有名なこの地はたくさんのクライマーであふれ、毎日岩登りをして過ごした。

クライミングの場所まではいつも困難が付き物。山道、真夜中、田んぼ、川沿いなどなど

尊敬する人、この子はすごい。

上から撮影

クライミングの後はやっぱり川でひと汗流すのがいい





 香港に途中行った。大都会。何をするにしてもお金がかかる。

きれいなところだった。
三日でヤンシュオに帰った。



グイリンと呼ばれる所にビザの更新のために行った。

近くにあった段々畑を見に行った。

俺から見た中国の色。



ヤンシュオに帰りクライミングフェスチバルに参加した。
そこでは想像を超えた経験が待っていた。


ルオ チェン ロッククライミング フェスティバル

4泊5日、参加費なし、交通費込み、食費負担、宿泊量無料、アルコール類支給という前代未聞の見出しに気を取られ参加したこのツアー、実は政府からの援助と自治団体による地域の復興目的に結成されたイベント。ほんとに驚かされた。自分を含め外国人約20人、中国人30人あまり、時間道理に迎えにきたバスに乗り込み、周りの人たちと挨拶。誰もどんなツアーになるのかはっきりせずうかれていた。ヤンシュオから約六時間ほどだろうか着いた先でホテルの立派さに驚いた。一人一部屋、でかくてきれい、けっこう高級でちゃんとした場所だった。昼食にも驚かされた。毎日朝昼晩、高級中華料理で満腹になっていた。夜になると出迎えセレモニー。約八千人、街中の人たちが広場に集まり、歌やダンス、伝統芸を三時間にわたり披露。赤い絨毯はなかったが、人並みを警察に守られ何百というシャッターを目の前に歩く気分はまるでセレブだった。

空気汚染が激しく夕日が皮肉にも幻想的に落ちていく

予定は綿密に決められ、次の日は六時起き朝日とともに慣れない頭を抱え豪華な朝食を終えると早速パトカーによる警護のもと地元交流会。一つ目は植木をした。何千人と過言でない人の列の間を拍手とともに歩き通り着いた庭地には植木は完成しているが、シャベルでひとかき土を上乗せ、カメラに向かってポーズ。最悪に汚染された湖を30分ほど懸けてみんなで行進。迎えられたバスに乗り込み次の目的地に向かい昼食を。民族衣装に身を纏った人に歓迎され川岸でのパーティー。昼食後、川でひと泳ぎ。次の場所で見所のムーンヒルと自然にできた山のアーチ。何もかもが壮大だった。
次の日に初めてクライミングコンテストが行われた。場所はムーンヒル。ランクは8bと8c 。全くと行っていいほど無理だった。何人かはクリアしていた。

次の日も同じ場所で最終選考。そして街の広場でボルダリングコンプ。ランクの高い壁しかなく、悔しい思いばかりだったが、賞を一つ受けたのでうれしかった。このフェスチバルに参加するためクライミングシューズを買っていた。その金額は500ウォン。約8000円ほどだがまったく一緒の額の懸賞金を受けた。その賞はビューティー賞。みんなに笑われたがうれしかった。最後の日はみんな泥酔し夜通しはしゃいだ。


予想に全く反した五日間だったがこれはこれで思い出深い楽しいツアーだった


その後もヤンシュオに二週間ほど滞在しクライミングに明け暮れる毎日になった。朝起き、待ち合わせの場所に集まり、ロケーションを決め自転車に乗り走り、限界まで登り続けた。みんなでビーチパーティーもした。ゲストハウスの屋上でギターを弾いて休む日も。最後の日にはムーンヒルの頂上に登り爽快な空気を肌に感じた。

そして、別れの日。ゲストハウスのみんなと、クライマー達に別れの酒を酌み交わし一人フィリピンに向かいバスに乗った。クライミングとはパートナー達と命を預け合い、信じ合い、共に励まし合って自分らの限界に挑戦し、上にたどり着いたときの興奮を分かち合うスポーツだ。別れは痛かったがいい思い出として胸に残る。今でもみんながビレイをしてくれていて、上に登る俺を見ていてくれる気がする。

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