2011年1月10日月曜日

ベトナム

カンボジアの国境から約二時間、プレイクという街に着き、八時間待ちのバスを待ち、サイゴンに向けて乗ったバスが思い出の中でかなり最悪だ。その旅は10時間ほどだった。体の不自由なおばあちゃんが乗ってきた、一番後部座席に座るようで、俺を見おろせる所に位置する場所だ。歩けないので運んであげたほどだった。そしてサイゴンに向かった。満席のバスはいつものように揺れに揺れ、急発車に急停車。みな気分が悪くなっているのが目に見えた。三時間ほど経った後だろうか、おばあちゃんのうめき声が聞こえてきた。やがてその吐息は、咳に変わり、詰まった音を出した。俺は心配したが言葉も通じないため何もできないし誰も何もしない。そして「うぎぇ〜」吐き出した。高速バスの窓は開かない。俺の頭の上なので少しかかった気もした。そして横にいた女の子がモライゲ、それを見た隣のおじさんも。そしてその座席の前も。そのバスはゲロのパーティーバスと化したのだった。くさいなんてものじゃない。バスは止まらない。身動きはとれない。朝方三時頃だろうかそのおばあちゃんはとうとう、わめきだした。そして悲鳴が。静けさがそこには、久々にバスのエンジン音が唸り始め、その場の静けさを逸走させた。絶対に死んだと思った。誰も何もしない。運転手は何事もなかったようにサイゴンに向けてよっこらよっこら。朝日と共にサイゴンに到着。排気ガスの充満する外の空気でさえ新鮮に感じられた。おばあちゃんもちゃんと生きていた。

とりあえず、交通量だろう。あのバイクの数はありえん。第一印象です。五人乗りを目にした。よくラオやカンボジアで目にはしていたが、ここまで交通量が多いとすさまじさを感じました。

そしてサイゴンを代表するようなプロパガンダのポスター。政府発行らしいが、仕事をがんばろうだとか、世界平和だとか、力を合わせた国作りだとかけっこうまともなことが訴えられているらしい。中には感動するくらい芸術てきなものも。




街の中心部にあるマーケットは物売りがとてもうるさかった。引っ張られるし、どなられる。歩くだけで疲れる。
ベトナム戦争博物館にも行った。とても悲しい歴史、堪え難い苦痛、人間として生きる権利、そこには戦争という現実でも非現実的な事実、人間的であって非人道的な行動がありのままに映し出されていた。

バスで、ナチャンという観光地に足を向け二日ほど過ごした。ビーチのあるその街はそこそこ。
電車を使いフエに向かった。古い街並の残るその街は雰囲気がよかった。

タイで出会った友達と街を回った。マーケットにて何かわからない昼食

参拝

そこからハノイに夜行電車で向かった。電車の中で同じ部屋になったベトナム人の人たちに飯をもらった。その中での反成長卵とでもここで言おうか、ゆで卵、はとてつもなく印象的だ。殻を割るとヒナがいる。うひゃ。もちろん試し食い。見た目はグロテスク、噛むと頭の骨が口の中で砕ける、味は苦い、血管がひゅるりと黄身の部分から、そして飲み込むとき、のどにヒナの羽が絡み付く。吐きそうになった。半分ほど食べたが、全部はとても無理だった。

ハノイは楽しかった。活気のある街の人々。しかし、今までで一番怖かった街でもあった。タクシーの運転手でさえマフィア関係の人が多いこの街。知り合いも夜のタクシーでの帰り道で誘拐され襲われていた。飯やで昼食中けんかを見た。大きなシャベルでぶんぶん。こっちに逃げてきた人の太ももにはお肉屋さんの中のような血の嵐。目の前でシャベルが振り下ろされる。店長みたいな人が止めに入り一件落着だが周りの人の反応はいまいちだった。お〜怖い。

文化博物館は歴史とアジアの建物であふれおもしろかった

水上人形劇は不思議な雰囲気を持ち観客を魅了した

ベトナム最大の見物とでも言えるだろうか、ハノイから出るハロングベイツアー。


古風で木造のその船で山々に囲まれるその湾を二泊三日クルージング、まるで海賊にでもなったようなそのツアーは日本人にも一押しだ。

船の上で一泊、島にあがりもう一晩。

物売りももちろん船の上で。

ビーチでパーティー


燐光と呼ばれる現象がここでも見られみんな夢中で泳いだ。

 続いてバスでサパと呼ばれる場所に行った。フランス人の避暑地として植民地時代栄えた街は独特な雰囲気をもっていた。

標高が高く街自体が朝晩雲の中に幻想的に埋もれる。

段々畑が広大で美しい。


その周りで暮らす人々。

子供達
 


サパには三日過ごしベトナムの旅を終え、中国に向かった。

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