2011年4月18日月曜日

インドに魅せられて


インド

3月14日の午後、マレーシア経由でインドのケララに到着、早々ATMカードの暗証番号を押し間違った、、、 カードはキャンセルされた、、、 日本滞在が長く、しばらく使ってなかったせいか、携帯番号の下四桁を押したのだ。馬鹿だった。幸運にも財布の中に日本円で3000円持っていた。日本でならバス代と軽食がやっとだろうがインドでは大金になりなんとか切り抜いた。

インドはとにかく暑い。着ていた靴とジャケットを脱ぎ捨て、バスに飛び乗る、3時間ほどのバスで空港で会ったドイツ人、ハナと共にフォートコチに向かった。




フォートコチ

発展途上国、、、 その街はすさまじい。道ばたには牛や犬の糞、鳥やネズミの死骸、ホームレスの数にぼろぼろの建物、エンジンの爆音とゴミの燃える異臭、これまたすごい所にたどり着いた。だが地元の人たちは楽しく優しかった。かなりの人が英語も話せた。

初日ハナと共に、街を迷子になりながら散歩した。サンダルが壊れて裸足でその地面を噛み締めると、瞬く間に足の裏をやけどした。さらに災難が重なり、カメラを地面に落っことした。レンズが割れ使い物にならなくなった。こうして旅の初日はかなり重い記憶として始まった。

二日目はバックウォーターツアーに参加した。エンジンもない小船を長い竹の棒で押しながら小さな川をゆっくり進む。途中、インドのファームを見学したくさんのスパイスを見て回った。とても和やかな一日。そのツアーで出会った仲間と共に次の日、ビーチにバイクで向かった。交通ルールのないデコボコ道はかなり怖い。トラックやバスが手の届く距離を猛スピードで駆け抜けていく。土ホコリと虫が顔にあたる。だが皆無事にビーチに着いた。ビーチでたき火をしマシュマロを焼いて食べ、夕日を楽しんだ。帰り道は真っ暗で向かってくる車の光が眩しくその道は行きより遥かに危なかった。




バンガロー 

バンガローに向かう途中、公園でギターの練習をしていると、人だかりができ、小さな路上コンサートになり声援を受けた。けっこう楽しかった。バンガロー自体は大きな街で面白くないが、朝飯を探しに外に出ると旅人に会い、一緒に日曜の集まりに参加した。彼らもキリシタンではないが、地元の友達に会うかなにかで一時間ほど神に歌を、そして人生について話し合いをした。思ったことは宗教は俺向きではないってくらいかな、、、
そのあと地元の人たちに昼飯をごちそうしてもらった。

インドカレーはうまい!!!

大半のインド料理はベジタリアンだが、たくさんの鶏肉と香辛料のよく効いたカレーはインドならではだ。




ハンピ

さらに驚かされた。ハンピに着いたのは早朝五時。世界遺産の寺院を朝日とともにその街は輝いていた。神秘的だ。ゲストハウスの屋上に宿を取り目に入る景色に唖然とした。
数時間の仮眠の後、通りにで、自転車を借り、ハンピを一周することに、途中ドイツ人の子ミリアムに合い一緒にサイクリングをした。

ロッククライミングをするため次の日川を渡り、ゲストハウス、ゴアン コーナーに辿り着いた。まるで動物園だったがとても楽しい場所だった。そこで半年ほど前中国で一緒にクライミングをした仲間、アメリカ人のアンバーとスティーブに会った。かなりびっくり。

ハンピには二週間滞在、そのうち10日ほどは下痢に悩まされたけど、その甲斐はあった。回りのみんなも下痢だった。毎朝「おはよう」の代わりに「今日の胃の調子は?」で毎朝が受け答えされ、笑った。

ここでの生活は、サルか鶏、カモか犬の鳴き声によって毎朝起こされ、暑くならないうちに丘に登り、その終わることを知らない岩の数々でクライミングの訓練をした。大半は丘の上でゴロゴロしていた記憶もあるけど、、、 ゲストハウスに帰り、皆とおしゃべり、ジャグリングの練習やダムに飛び込みに行ったり、夕日とともにまた丘に登りクライミングを、日が暮れると皆集まり、ラウンジで音楽を。

そこでは二人の凄腕のギターリスト、ドイツ人ジョー、セブ、ラテン系のシンガー、ダニーとラウンジ系のシンガーヤナス、ドラマーが二人、ダニーとアメリカンのジェーピー。皆でハイになりインプロで音をあわせた。そのセッションはケミカルにより音色を絵に描いたように、そこにいる全ての意識の中を薄明かりとともに翔て回った。
月明かりだけの夜に皆で丘に登り、キャンプファイヤーをした。真夜中の静寂の中、透き通る星々を見上げ口ずさむリズムはハンピの最後の晩餐を心地よく過ぎ去ってくれた。

ここで集った仲間ドイツ人、ジョー、セブ、ヤナス、ダニー、4人、スウェーデン人リサとヤニース二、人と韓国人ゴン、アメリカ人ジェーピーのとともに意気投合し、ゴカルナというビーチに出ることになり、新たな旅路へと足を進めることになった。




ゴカルナ

仲間がいる旅路は一人でいるバスよりも心地がいい。デコボコの道路も愉快なリズムに揺れるバス、休憩所のトイレのような汚い隅も笑い話の種になり、長い旅路はどこか遊園地にでも向かっている気分になる。
午前の四時、インドの海の楽園と呼ばれるゴカルナに到着。暗闇の中波の音だけが聞こえてくる。みんなかなり疲れていた。泊まる宿どころか、何一つ動きがない。オムビーチという所まで歩き、砂浜の上にみんな寝転がった。星がきれいだった。
幻想的な一日は、朝日とともに始まり、輝くその波とともに数々のイルカによって迎えられた。

バンガローにハンモック、ビールに砂浜、キャンプファイヤーに夜間水泳、いいところだ。そして、やられた、、、初日の夜、疲れきったせいか確かめもせず泊まった宿にはナンキン虫が。体の半分をやられた、、、左の腹から足にかけ百に及ぶ噛まれた後。そしてそのかゆみ、、、後に一週間ほどかゆみに悩まされることになる、三週間経った今、黒く肌に旅人のタトゥーとして残っている。
それはそれで、そこではとにかく怠けた生活をした。泳ぎに出てはビーチで日焼けを、夜には円になりたき火を囲いギターとともに宴会を。そして夜の海の幻、フォレッセンスに又と出会う。その緑鮮やかに輝く海の妖精に見とれ波の中を駆け回る生活は今思い出しても幻の中に夢を見ているようだった。
フィッシュマーケットに皆で買い物に行った。太陽の照りつける中、道ばたの土ぼこりと共に、地面の上に並べられた魚介類は蠅の飛び交う中、ローカルの人々によって活気よく売買されていた。そこで半メートルほどのツナを四匹、車エビを二キロ、小さな見たこともない魚をたくさん買い、泊まっているゲストハウスに持ち帰り調理してもらった。チップスとサラダと一緒に食べた晩餐は今でも舌に残りアピタイトをそそる。
ビーチの端にある岩山に登り夕日を見に行き、そこで生まれて初めて夕日が海に触れるのを見た。まるで太陽が海に溶け込むように流れた夕日は五分となく海に消えていった。
ここではインド名物バング、ラシーを経験することになった。ビーチの端にあるカフェで飲んだラシーは、味はともかくその日の夜をゆっくりと笑いと波と共に運んでくれた。
そこには五日ほど滞在、そこから三手に別れ皆自分の旅路へと歩むことになった。
俺はムンバイに三人のドイツ人ジョー、ダニー、ヤナスと向かい電車に乗った。




ムンバイ

またもや早朝四時。しかし今度は大都会ムンバイ、疲れきった体にチャイを流し込み、タクシーの運転手と交渉に励みホテルを探す。一晩500ルピー、その宿は今まででもSクラスの汚さだ。ネズミの走り回るトイレと廊下、部屋に入ると薄暗いそこにはゴキブリがベットの上に見え隠れし枕の下へ隠れていった。ナンキン虫のチェックをし、泊まることに。笑いが出るほどの経験だった。朝起き、朝の「仕事」に行くと詰まったトイレから溢れ出る糞の塊が鼻と目に滲みた。吐き気を我慢しながらも使った自分に感動する。そしてそのホテルのオーナー。腫れきった目に話の噛み合ないほど遅い反応、完全にイッテル。そしてその愛想のなさ。最悪だった。
街を彩る雰囲気はあふれる物乞いとホームレスにより凄まじく、対照的にスーツを着た太ったインド人達を印象的に薄暗く輝かせる。
カメラのレンズを買うために出たその旅路は凄まじく遠く感じられ、炎天下の中人ごみをかき分ける自分を目の見えないネズミのように映し出され息苦しかった。

他三人は次の日ドイツに帰国、楽しかった騒がしい生活に別れを告げまた一人旅が始まった。



ウダイプー

ウダイプーはきれいな街だ。もちろん景色や建物のことであって、環境的にはかなり汚い。街は坂が多く、色とりどりの建物が無造作に並んでいる。すごくにぎやかで街中からインド楽器の音色が、がやがやとその雰囲気を埋め尽くしていた。街の端に湖があり、真っ白な高級ホテルがそこに浮かんでいて景色を飾っていた。もちろんその湖は触る気を起こさせることない汚さに埋もれているけれど緑色に輝く公害は現実味を帯びず幻想的だった。
ホテルには誰も住んでなかったので今まで取り集めたビデオ作成に励んだ。その日の夜、ハンピで会ったドイツ人ミランとルイッサに会い夕食を一緒にラガールというゲストハウスで食べた。そこには池に面したテラスがあり、心地よい夜風と景色を堪能し、そこで出会った仲間と旅について話し合った。
次の日の朝、そのテラスに戻り、ギターの練習をした。




プシュカ

ウダイプーで皆の勧めにより、プシュカに向かった。思ったより観光地として成り立っているこの街では土産屋や物乞いが多くあまり面白くないかもしれないが一週間があっという間に過ぎた。ほぼ毎日尾お馴染みのカフェでチャイを、そこで出会う旅人達とダラダラおしゃべりをし、暑過ぎる日中はゲストハウスに帰りゴロゴロと、日が暮れだすと夕食のため街にウロウロと、素敵な生活だが人には飽きという物がある。
ここでも一晩バングラシーを飲むはめになった。ノリとは怖い物だが、経験とはそれを上回る好奇心によって生まれる。カフェでカードゲームを楽しんだ後外へ出ると、何もかもが閉まっていて、暗かった。その暗闇の中にそびえ立つ建物と、不気味に視線を送るインド人の間を、牛がたたずんでいる。そこで俺らの笑い声だけが通りを駆け巡る。その空気はまるで夢の中で息をしているようで現実感からほど遠く、さらにプシュカという土地を神秘的な距離を感じさせた。
なるほど、こういう旅も悪くないかもしれないとインドのイメージは独り勝手に街灯の逆光に消えていった。




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