2011年9月21日水曜日

シャンバラフェスティバル


ブリストル

やっとの思いで帰って来た家は懐かしく、静かな生活が始まり、ブログやギター、絵など描いて過ごした。ベルリン行きの航空券を購入。一ヶ月後にはイギリスを発つ事にした。シャンバラフェスティバルのチケットも購入。旅の帰りから三日後にはまた混沌が始まる。じっくり体を休める事にし、三日間は家の中でゆっくり過ごした。




シャンバラフェスティバル

初めてフェスティバルのチケットを自分で購入、ただではない、、、 約17000円ほどのチケットだ。高いと思いながらも多くの友達が参加、お勧めしたフェスティバルだったので行ってみる事にした。それと初めてフェスティバル中働かなくていいので、一日中フェスティバルを楽しむ事ができる。このフェスティバルの開催地は開催日まで秘密、全てのパフォーマーもアナウンスされておらず、いったいどんなものなのか気になった。金曜の昼頃、ラフの車に乗せてもらって、フィンと三人で向かった。迷子になりながら三時間以上かけて到達。冷たい雨が開催地で俺らを迎えた。チケット代を払っているので、かなりショックだった。雨の中荷物を運ぶ。今回はカフェタンゴがないためサイト内に車を入れる事ができない。遠い道を大きなバックにテントを持ち運んで、雨の中歩く。寒いし暗い、荷物が重いし多い。雨の中テントを張る。夕方はタンゴの仲間達に合流してテントの中で寒さをしのいだ。雨に風、夜、少しフェスティバルを歩いたが、空腹のせいもあり早めに寝にいった。

早めに寝たせいもあって、翌朝はまだ友達皆が寝てる間に起きた。一人でフェスティバルを歩き出す。この日の朝は少し青空に恵まれ、心地いい散歩日和となった。今までのフェスティバルで中くらいの大きさだろうか、一時間ほどあれば全て回れるほどの広さだが、あちこちでいろんなイベントや、珍しいハンドクラフトのお店、雰囲気のいい広場に、雑木林に隠れた通り道、潜水艦の浮かんでいる池、ウロウロしている間に時間はあっという間に過ぎていった。午後、テントに戻り皆と合流、それからフィンと歩いて回り、カレーを食べて、雑木林の中にあるステージでハープのコンサートを見た。ギターと、ハープだけのコンサートの音色は、その森林と一体して美しく、ステージは大きな木の上に建てられている家で創られていて、そこの大きな窓からの演奏となり、まさにおとぎ話の中の世界だった。夕日の暮れる頃、メインステージに向かい皆と合流し、Correspondentのコンサートを見た。エディンバラで見たときの何倍ものステージで踊っていたCorrespondentはさらにおもしろかった。その後少し間が空き、Lamb が登場する。lambのコンサートは今までの人生で立ち会った中で最高のコンサートになった。感動した。Trip-Hop の音はそこにいる全ての観客を飲み込み、揺れていた。皆で輪になり、抱き合い、目を閉じ、一つになった。体の中をLambの音が響き渡っていく、何も見えなくなるほど目を閉じた。感覚だけが音を拾っていき、足踏みの感触だけが体に伝わってくる。音楽をここまで愛する事があるだろうか?祝福に満たされた自分を見つめる事に酔って、音楽の素晴らしさに直面する。神様が実在するなら、きっとその人は音楽家だったに違いない。誰かが言ったような気がするが、まさしくその通りだと同感した一時間だった。目が覚めるように終わってしまったライブは、まさしく夢のようだった。それからシャンバラフェスティバルを着飾るように大きな木馬の建物に火が灯された。高さが、だいたい5メートルほど、長さは10メートルはあったろうか。灯された火は一気に燃え上がった。体が熱くなる。10秒もしないうちに爆発的に広がった光は何十メートルにも登り、そこにいた観衆を脅威に脅かした。遠くにいるものはもっと近くに行きたくて押し合い、近くにいるものは炎の熱により恐怖し、外に逃げようと混雑は混乱を生んだ。一番前にいた俺らも、熱さに驚き、結構慌てた。その後、皮肉にもKamikazeと呼ばれるステージでDrum & bass のコンサートは始まった。ラインアップは忘れてしまったが、好きなジャンルに体は動いていく。一日の始まりはそれからなのか、夢から覚めた後も凄まじいベース音が体を流れていく。小さなダンスステージにみんな集まった。そこに登ると、その会場全てが見え、歓喜によってDJに吸い寄せられる観客の動きが点灯するライトによって照らし出されていて、それはまるでストップモーションフィルムのようにこまごまと動き、あたかもまた夢のように現実は動いていた。光のテンポが遅くなると、ひとこまひとこまの間が大きく開き、人の動きがゆっくりと感じられ、まるでスローモーションの世界に飛ばされた気がした。朝の三時くらいになったろうか、Kamikazeは記憶にとどまる事なく終わってしまった。すると仲間がまだ隠れステージがあると言い、柵をこじ開ける。なるほど、そこには細く、長く、また道ができている。不思議の国にでも行くようにして、通りを抜けると、そこには小さな会場があり、パトカーをステージとして作り上げてあり、DJがおまわりさんの格好をして、音楽を流していた。イギリス人のユーモアだろう。つい二週間前にロンドンであった暴動をもうネタにして音楽をかけている。パフォーマンスもなかなか凝っていて、暴動者の真似をし、パトカーに体当たり。するとおまわりさんが出て来て一網打尽に暴動を暴力で解決する。身近なニュースだったので結構笑えた。空を見上げると、晴天の漆黒に星が何千と輝き煌めいている。空を見つめていると、流星が一瞬に輝く空を流れていく。空に吸い込まれると、現実の世界から遠のいて意識が離れていく。気がつくと空は明るくなりだしていて、星の数は消えていった。朝日の登りだした頃、皆でキャンプサイトに帰り、ラフの大きなテントの中で、パーティは次の日の昼まで続いていった。

最終日の日曜がやってきて昼過ぎにテントから這い出る。すでに音楽がどこからともなく聞こえて来る。となりのテントに泊まっていた人に、ガスストーブを借り、持って来ていたインスタントヌードルを温める。スープはいつでも二日酔いにいい。醤油とニンニクを分けてもらって、少しマシになったスープをすすると、少し元気になったが体は重い。テントに帰りまた一眠り。結局夕方近くまで寝てしまったのか、そこらへんの記憶はあまり残ってない。それからライブを皆でいくつか見た後、ブリストル出身のバンド、Disraeli and the small godsを見に行った。いい音を出してはいたが、あまりにも混雑し過ぎていて、踊ることもできなかった。そうして、フィナーレの花火が始まった。池を挟んで見える花火は昨日の木馬の火玉のようには熱く燃えず、豪快さにかけた。それからまたKamikazeに戻り、Drum &Bassを聞きにいったが、同じ事の繰り返しに見えたステージはケミカルに欠け、単調に過ぎた。最終日がこんな風に終わってしまったのは少しがっかりだったが、土曜があまりにも最高の組み合わせだったからかもしれない。マーキィーで行われていた映像と音楽のライブで最後のライブとなったが、疲れのせいか、その光り輝く天井の幻惑的な芸術さえも、ただの白黒映像に見えてしまい、素っ気なかった。それが終わった後、皆でテントに帰り、夜を語り合い、いつの間にか夢の中へと堕ちていった。

気がつくと昼は過ぎ、回りのもの達はテントを終い帰りだしている。今回はカフェタンゴがないので、普通の参加者と同じ時間にフェスティバルを出なければならない。俺らの仲間はまだ寝てるものもいたが、まだはしゃいでいるものもいた。元気なものだ。辺りを見回してみた。捨てられたテントや、ありとあらゆるゴミでその場はまるで別世界。すっぽりと開いた空間に取り残された空き瓶のように存在する自分に覇気を入れ、荷物をまとめだし、皆に声をかける。しゃくれた声で皆と会話し、かたずけを始めた。記憶の中には早送りに見える記憶も、その場にいたときはまるで一秒が永延のように感じられ、かたずけにどのくらい時間を費やしたのか疑問に思う。車を運転するラフの体力に感動し、安全を願いながらもぐっすり眠ってしまった。ブリストルに着くと早速パブに向かう、皆との再会、疲れきった体にもう一あおりビールを入れ、楽しかったと話をした。全く持ってイギリス人の体力には圧倒された。

次の日からまた次のフェスティバルに向け準備があり、ウェールズに向かったが風邪をこじらせ三日寝込んだ疲れが出たのだろう。フィンはしっかり休んどけと、一人準備に張り切っていた。ラフも手伝いに来て働いている中、俺はガッツリ寝込んだ三日間だった。

2011年9月18日日曜日

三度目のロンドン観光

セシルの朝九時のロンドン発、フランス行きの出発に合わせて、朝四時に起床。眠い頭にコーヒーを流し込む。ジャックに別れを告げセシルの車で、フレドリックとロンドンに出発。早朝五時にロンドンのビクトリア駅に到達。駅で地べたに寝転がり、数時間の睡眠を取りさらにマクドナルドで仮眠を。11時にフレドリックはノルウェー行きの飛行機に乗るため空港に向かい別れを告げた。俺はロンドンのハイドパークの近くにあるバッパーに向けて歩き出した。その後、シドニーで一年間一緒に暮らしたテレーザと六年ぶりに再会。懐かしい友達に会い感動した。その日はその子の所で夕食をごちそうになり、泊めてもらった。この六年間の話や、シドニーでの生活、ロンドンの生活について盛り上がった。

次の日の昼、中国で旅をしていたときに会ったアンソニーにボンドストリートで会い昼食を共にし、ロンドンの中心街を観光した。

ロンドンに来た目的は俺の母が観光に来るからだった。通訳と観光案内、それから久々の再会をかねて、自分もロンドン観光をしようとやってきたのだ。夕方七時に母から連絡がありホテルに着いたとの事。ホテルまで迎えに行き、無事再会を果たした。その日は、母をモロッコ料理に連れっていってやって(ごちそうにありついて)ワインを共にし、自分の旅路や、家庭の話で盛り上がった。

母に朝九時に電話で起こされ、騒々しい観光が始まった。まずはハイドパークを横切ってボンドストリートまで散歩をし、そこから母の目的であった、リバティーという店に入った。その店の建物は1924年に二つの軍艦を解体して創られたそうで、独特で、店内の装飾もこだわりがあり、中を歩くだけでもおもしろかった。それから昼食をパブですませ、徒歩で街を観光、SOHO通りを歩き、テムズ川に向かい、船でゆっくりとロンドンブリッジに向かった。夜はシアターに行き、ビリーエリオットというミュージカルを見に行った。いろんな人から勧められていただけあって、そのショーは感動的だった。英語のわからなかった母でさえ感動していた。メインの子役とそのサポートの子役がとてもいい役をしていておもしろかった。それから母とパブに飲みに行き、結構一緒に飲んだ。

次の日は朝早くから母がフラワーアレンジメントの習い事がありつき合わされた。電車に乗りロンドンから約三十分南に離れた田舎に向かった。広大な丘に囲まれたきれいな街にたどり着き、フラワーアレンジメントの先生に迎えに来てもらい、街を案内してもらった。もう一人日本人の女の子も講習に参加していて三人で講習を受けた。花の使い方は意外におもしろく、楽しい教習となった。先生の家はとにかく豪華で、庭も広くきれいだった。教習の後、四人でティータイム。おいしい紅茶と、ケーキでお腹はいっぱいになった。ロンドンに帰り、まだ明るい午後の街で夕食を探しに歩いて回り、母に感謝しながらイタリアンレストランでラザニアをごちそう。日が沈むと母はホテルに、俺は前ロンドンに来たときにつるんだ友達と飲みに出かけた。この日から右の手の中指が腫れだしていた。原因はわからなかったが膿みが指先に溜まり痛かったため、この夜切り開く事を決断。カミソリに消毒ガーゼ、カットバンを用意。それからヴォッカを一本。皆で騒いだ深夜、路上でオペは開始された。フランス人のジェズに頼み中指を差し出す。ジェズが主治医、スペイン人のパウラが看護婦となり、お医者さんごっこは本格的に?始められた。消毒を終え、すぱっと切られた指からはドロドロの血液が流れ出た。結構痛かった。皆が消毒の手伝ってくれた。酔った上、わめいた。血液を失った。そして路上で弾き語りを始めた。騒々しい一日はまたも慌ただしく過ぎて行き、楽しい一日は一つの思い出として残った。

早朝に母に電話で起こされ、公園で会い、中華をごちそうになった。それからは血液不足と二日酔いで、その日は観光する気になれず、俺は公園でのんびりと時間を過ごす事に。母は買い物に出かけた。数時間晴天のもと公園で昼寝をしたあと、母が買い物から帰って来てうれしそうに買ったものを披露してくれた。夕食を共に、またイタリアンをごちそうになり、感謝感謝しながら海鮮パスタを注文。ワインにオリーブと食べ、豪華な食事は食卓を着飾った。それからまた友達に会い今度は公園の中で飲む事になった。皆で閉じられた柵を乗り越える。真っ暗で静かな公園の中に俺らの笑い声だけが響き渡る。池のそばまで歩き、地べたに座り込む。そこで飲みだした。他にも人が飲んでるようで笑い声が遠くから聞こえていた。ギターを取り出し気ままにコードを奏でる。適当に歌詞をつけ皆で歌った。ひっそりした森林に囲まれた公園の端から流れるメロディーが、酔いとともに空気を盛り上げる。暗さに隠れた皆の素顔は、薄らと月明かりに照らされていて、笑い声だけがはっきりと伝わって来る。星明かりが普段より数段明るくきらめき、小さなその場だけの世界観が生まれ祝福は深夜まで続いた。

夢から覚めた後、21人部屋の小さなベットの上で、いったい何が起こったのか一瞬迷った。母からの電話がなり現実へと振り返る。チェックアウトを済ませ、公園へ出かけ二人で散歩をした。フラワーガーデンを歩きアイスクリームを食べ、ベンチでゴロゴロと。ホテルまで見送りをして母は日本へと旅立った。ボンドストリート、ロンドンブリッジ、SOHO、ビッグベン、観光船、レストラン、などなど、観光者になりきった週末だった。それからバスでブリストルに久々に帰る事にし、友達に別れを告げ、帰路へと落ち着いた。

2011年9月14日水曜日

ブライトン


エディンバラから夜行バスで約10時間半、ロンドン経由で朝の9時にブライトンに到着。久々の長旅で、眠気の残る頭と、座り通しの腰の痛みをずっしり感じる中、海際のバス停で海風とともに朝を迎えた。ブライトンはエディンバラとはまた違った雰囲気をかもちだし、観光の街として賑やかだ。それにイギリスの南海岸に位置するこの場所は、まだ温かく、久々に心地よい晴天を迎えた初日から、俺をいい気分にさせてくれた。ここにはオーストラリアでシェアをし二年間一緒に暮らしたフランス人の友達セシルに会う目的で来た。その子と友達のジャックに迎えに来てもらい。ビーチでコーヒーを一杯。ビーチと言ってもブライトンのビーチには砂がない。代わりに丸石がごろごろしている。それに温かいと言ったが、それはエディンバラと比べててあって、さすがに泳ぐ気にはなれなかった。車でジャックの家に向かう予定だったが、駐車しているという所に行くと、セシルが借りていたレンタカーがそこにはなかった。駐車禁止の場所に停めていたのだ。レッカー車に持ってかれたらしく車の後はそこにはなかった。近くにいた警察の人に事情を説明、どこに連絡を入れるのか聞き、電話、持ってかれた車の場所を聞き、まずはストレス発散のためビールをパブで。それからバスで車を取りに行き、初日の観光は終わった。セシルは140ポンドの駐車違反料金を払わされ、動揺を、俺はちょっぴり責任感を感じ辛かった。その夕方、オーストラリアで会ったノルウェー人の友達フレドリックを迎えに夕方空港に向かった。ジャックの親元の家に泊めてもらう事になり、その家族にお世話になってもらった。夜、四人でいろんな事を話し、楽しんだ。寝床は四人一部屋。文句を言える立場ではないが狭かった。フレドリックが床で、セシルとジャックと三人でベットを共有し、深夜は騒がしく過ぎていった。

明くる朝も晴天、心地よい一日は遠くから聞こえる騒がしい音楽によって始まった。エディンバラで聞いてはいたが、ブライトンはヒッピーとゲイの街。その日はブライトンの一年で最も大きなパレード、ゲイパレードが開催されていた。大通りに向かうと、そこには大行列。街中が色とりどりに飾られていて、いろんな音楽があちこちから聞こえる。何百というオカマさんやレズビアン達が派手な衣装に身を纏い、大名行列のように通りを歩き、バスからパトカーまで仮装され、パレードは数時間と続いた。その後ジャックの友達に会い一緒に公園でビールを交わした。夜はみんなでパブに向かい、一日が過ぎて行った。

次の日も晴天。ブライトンの天候は他の場所と比べてもなかなか安定していて過ごしやすい。皆、疲れが溜まっていたせいか、この日はまったく外に出る事なく、ジャックの家の庭で一日のんびりと過ごした。

晴天から始まった次の日はビーチに向かった。泳ぎに行くつもりだったが、ビールを片手に心地よかった昼時は過ぎ、曇り空が海からやって来た。風も強くなり、冷気が肌を突抜ける。セシルとジャックが車の移動と、仕事の話で街に出て行った。俺とフレドリック二人で帰りを待っていたが、風が冷たい。凍えながら待つのも厳しく、パブに入る。二時間ほど経った後、二人が帰ってき俺らに動物のコスチュームをプレゼントしてくれた。俺は猿、フレドリックはデビル、セシルとジャックは虎だった。早速、着替えると温かかった。コスチュームをきたまま街に向かうと、回りの人たちからおもしろがられ、手を振ってきたり、挨拶された。そのまま街を少し観光して、ジャックの友達の家に向かった。それからその友達に晩飯をごちそうしてもらった。鶏の丸焼き四匹に、ローストベジ、うまかった。夜中の三時くらいまで騒ぎ立てて、音楽や、ハンドクラフト、ヒッピーについて語り合った。

次の日、ジョンが俺らを訪ねに来て、またビーチへと向かった。その日も天候には恵まれず、曇り。数時間ビーチで時間を潰した後、街を観光。皆で映画ハッピーフィートを見て一日は過ぎて行った。

2011年8月30日火曜日

フリンジフェスティバル エディンバラ

 ブリストル

次の日は友達とセントアンドリュー公園にバーベキューをしに行った。疲れきった体を公園の芝生で休め、一日中ぼんやり過ごした。火曜の午後だというのに、その公園は家族ずれや若者で賑やかだった。




エディンブラ

飛行機の予約をかなり前にしていたので、こんなに忙しくまた旅が始まるとは体にもたれた。ジョンに空港まで送ってもらい、また新たな旅路へと足を運んだ。
一時間前だったがそれは国際便だった。いちおビザがいらないし、貨幣も同じ、バスでも行ける場所なのにそこはスコットランド。甘く見ていた。添乗員に間に合わないから走ってと。慌ててゲートをくぐるにもそこには大行列。警備を通り越すとチケットに書いてあったゲートナンバー”6”に向かう。目の前だったが、場所が変わっている。全く正反対の場所となり20分も空港を走り回った。最後の乗客となったが間に合った。飛行機は時間通り出発。危機一髪だった。

空港からバスで街に向かう。世界遺産にも指定されているその街の光景は圧巻だ。城壁に囲まれたお城が堂々と高台に建ち、並び行く街の景色は落ち着いた色の石段で固められ、何百年という歴史を感じさせてくれる。

ここで疑問だが、日本人でコーチサーフィン (Couch Surfing) を知っている者はどのくらいいるのだろうか。これはインターネットサイトの事で旅人の中では、むしろヨーロッパではかなり知名度の高いサイトだ。旅をする者にとってはお勧め。その仕組みとは、メンバーになった者どうしで宿泊先を提供したり、されたり。行く先々で泊めてくださいと赤の他人に頼む事のできるサイトだ。宿代はとても高い。とくにヨーロッパは。着いたとしても何をしたらいいかわからない。隠れた名所や、地元のパーティーなどに参加できたり、観光とは違った経験ができる。そうやって旅人通しで助け合ったりできるサイトがある。エディンバラではちょうど街中でフェスティバルが行われていたので、なかなかあてが見つからなかったが、幸運にも最初の二日間だけ泊めてもらえる場所を発見した。予定は9日間滞在、とりあえず考える事は後にしてエディンバラに到着した。
街に着くとコーチサーフィングのホスト、リトアニア人のヴィクが迎えに来てくれた。家に案内してもらい荷物を預ける。おしゃれなカフェに連れてってもらってその日はなんかく過ぎた。

次の日ヴィクは仕事を探しに出て行ったので一人で街を探検することになった。それにしてもスコットランドの天候もかなり悪い。夏だというのに寒く曇りのち雨。街が石造りなだけ、よりしっとりした感じが気分を襲う。しかしながらエディンバラの街は英国の独特の雰囲気により、天気もさながら散歩をしたくなる。迷い込む道にはいつでも、おとぎの世界に連れてかれるような路地や、トンネルがあり気分が高くなる。勧めによって国立博物館を訪ねる。かなり広く迷子になったが、英国の歴史や、新しい技術などの展示物を見てかるく二時間が過ぎた。それからさらに数時間歩き、迷いに迷った末、ヴィクの家に辿り着いた。簡単に夕食をすませ、目的だったコレスポンダントのコンサートに向かった。Voodoo loungeで深夜から始まったコンサートは感動的だった。舞台裏にまで行きパフォーマーとも挨拶を。朝方までエレクトロスウィングの音で踊り明かした。意外にもここで一人日本人とも出会い次の日お茶を共に。

この日からは泊まる場所が確保されていなかった。ホステルを見たが十四、五人部屋で一日30パウンド近く、とてもじゃないが払う気はしなかった。考える事は後にして街に向かう。その日からは世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、フリンジフェスティバルが開催されていて街中が、観光客と路上パフォーマンスによって埋め尽くされていた。天気も青空がときどきあり、街はとても賑やかだった。コメディーショーをいくつか見て、夜はボンゴクラブへと足を向けた。その夜のクラブのテーマはConfusion is sex。みんな派手な服装やFetishなドレス、オカマさんや、レズビアン、下着のみの人たちから、妖怪にいたるまでいろんな格好で盛り上がっていた。幸運にもDJの人らと仲良くなり、ビールをおごってもらったり、CDをくれたりしてくれた。ダンスホールにはストリッパーからパフォーマー、ダンサーにシンガー、いろんなことが起こっていた。怪獣と妖怪にはばかれたホールを抜けるとステージには恐ろしい化粧をした化け物が踊っている、光り輝くミラーボールが曇りきったホールを突抜け、踊り狂う猛獣達を瞬間的に照らし出す。飾り物によって創られた人格の正体は、社会に隠された個々の本性をあらわに曝しだし、暴露された煩悩は狂喜に掻き立てられ、そこにいる者達は自分本来の姿への快感に満たされていた。ハウスパーティーにその後向かい、宴会は次の日の昼まで続いた。

誰の家ともわからず迎えた夕方は、パーティーの跡形だけを残し、静けさが部屋を充満していた。その家に住んでいる人に会って、もう一度挨拶。泊まっていいかと聞くと、今からロンドンに五日間仕事で行くから部屋を使っていいよと、快く引き取ってくれた。もう一人のシェアメイトも起きて来て、挨拶。仕事に行くからと出て行ってしまった。人がいいのか、信じられたものなのか、一週間の住み場は幸運にもそこで落ち着いた。とりあえず二日酔いの回復のためその日は一日中だらだらと過ごした。

次の日も雨。かなりの雨の勢いだったので家で、ギターを弾いたり、ブログを書いたり、絵を描いたりして過ごした。

少しばかりの青空と、温かい紅茶で迎えた次の日、街にフェスティバルを楽しむため向かった。友達がブリストルからエディンバラまで遊びに来るという連絡もあり、その日の予定は決まった。オーストラリアからの知り合い、カーラと会い、その友達ピートとメーガンと街で会い、Old city とNew town の間にある公園で一時間ほどのんびり過ごし、その日の予定をたてた。オーストラリアからのコメディアンがいくつか来ていて、それを見に行く事になった。街は青空が垣間見えるおかげでストリートパフォーマーや音楽家によって賑やかになり、歩き行く観光者たちによって路上は埋め尽くされ、活気に満ちた街に戻り、愉快な一日が始まった。なににしろ、世界最大規模のパフォーマンスフェスティバル、街中がフェスティバルの会場と化しているので、その範囲は相当広い。ウロウロしたあげく、一つパフォーマンスに遅れ、走ったあげく、入場を却下され、5ポンドのチケットは一つ無駄になくなった。でも皆で久々の運動だと笑い、次のショーからは気をつけようと、それからは事前に場所の確認をするようした。いくつかのショーを見た後、日本で5年間コメディーをした事があるというオーストラリア人のDave Eastgateに会い、話をしたあげくただ券を二枚くれた。カーラと見に行く事にし、時間を潰した後、見に行ったショーはそのフェスティバルの中で一番おもしろかった。それから何杯かビールを共にし、一日は楽しく過ぎた。

次の日も四人集まり、街を回り、コメディーショーを楽しんだ。その夜、カーラ達は次の日の出発が早いからと、夕日とともに寝床に帰り、俺も家路につき、サディックに電話をすると待ちに出ていて、ショーを見ているという。鍵を持ってなかったので一人では帰れない。とりあえず中心街に向かいサディックを待つ事にしたものの、どこにいるのか、いつショーが終わるのかもわからない。すると突然、目の前にサディックが驚きながら、今、途中休憩だといい、ビールを片手に現れた。たぶん中に入れるからと、ショーに連れていいてもらうと、警備員がいたがどうどうと通り侵入成功。ショーが始まっていた。驚いた事にそれはオカマショー。たくさんのゲイがパンツ一丁で踊ったり、曲芸をしていた。しゃべりもおもしろく、笑えた。ただ少し行き過ぎた場面もあり、驚きに圧倒された。それから二人で、Cabaret Voltaire venueに向かい、Drum & Bass のコンサートを楽しんだ。
迎えた次の日も雨となり、ブログやギターに時間を潰し、Brighton への旅路へと準備をした。あっという間に過ぎた、九日間だった。

2011年8月24日水曜日

ウーマッドフェスティバルの経験


休む間もなくフィンに呼び出された。後、一日は休めると思っていたがブリストルに帰って次の日からウーマッドフェスティバルの準備に必要だと呼ばれた。電車で途中まで向かいジョンに車で迎えに来てもらった。途中夕食の買い物のため小さな町に立ち寄った。イギリスの地方はとても古風で落ち着きがある。建物をそのまま残し伝統的な雰囲気を壊すまいと地域の人たちが力をいれているからだ。夕日を前に紅く染まる、どことも名の判らない小さな通りは、時代を超えてそこに存在し、自分が誰なのかを問いて来た。答えを知る事もできない自分に価値観を失わないように目的を持ち、その先へと旅路を進める旅人の絵を自分の中に描いた一瞬だった。
開催地に着くとフィン、ジョー、ラフがすでにカフェのマーキーを建て終えていてほっとした。労働作業は今の俺にはきつかった。夕食を終え、明日に備え早めに寝る事にした。

早朝から忙しい日々が始まった。俺の仕事はアート部門、好きな仕事だから楽しかった。皆がキッチンの整備をしている間、看板四つの絵や、フォントの修正、そしてカフェのフロントカバー。約、縦1.3メートル、横6メートルの大きなベニヤ板。フィンは、なにか描いてくれと題材はほぼ自由。ただし、制限時間は一日間。慌てながらもデザインを考慮、残されたペイントをどう使うかなどで悩みながら、夜中10時頃、全てを終えた。傑作とは言いがたいが皆満足してくれてほっとした。ヴォッカを少し嗜み忙しかった日は日暮れとともに過ぎていった。

目標売り上げはピザ200皿。今までのマイナスをプラスにするには今日それだけの売り上げをしなければならない。明日、明後日の金土曜は400から500を売り上げてプラスになるかならないか。ビジネスとは大変なものだ。全ての材料の計算から、一食分への配当を決める。今回はメインステージの真っ正面、勝算はある。問題は仲間が仕事をやりこなせるかにかかっていた。出勤時間の二時間前から仕事を楽にするため、俺とラフ、ジョンで準備にかかる。空腹と好奇心でお客が外をウロウロしだした。ピザはいつ始まるのかと聞かれだした。開店の一時までまだ二時間。万全を期して準備を整える。俺はピザ全ての責任を任されていたので責任は重大。間違いのないよう、売り切れや、売り残りのでないよう、皆を指導する。ピザの薪オーブンの温度が350度を超えた。予想以上の客の引きで開店時間を15分早める。悪くない始まりだ。軽やかなドラム&ベースのサウンドの中、回りくる注文の数にリズムを刻み、皆で踊りながらピザを作り回した。時間はあっという間に過ぎていく、ピザは止まる事なく、オーブンへ運び込まれ、香ばしい香りとともに流れ作業のもと外へ出て行く。日はいつの間にか西の空に傾き、空腹とともに時間が過ぎていった事に気づく。フィンが売り上げの数を数えて来た。それは目標の約二倍、400近くピザを売り上げた。フィンも皆も大喜び、早めに店を閉めて、皆で飲みに出かけた。フィンが皆にビールをおごり、明け方近くまで祝福は続いた。

翌日は皆二日酔いで苦しそうだった。ゆったりと朝食にかぶりつき、目を覚ます。硬くなった体を精一杯伸ばして、体を馴染ます。テンポのいい音楽をかけ、気合いを吹き込む。今日と明日は昨日の倍、忙しくなくてはならない。予定より一時間も遅れて開店したカフェタンゴは、行列によって迎えられた。何時間続いただろうか、トイレに行く暇もなく、一服する事も、ため息もつけない。ふとラフを見ると同じように手を動かす様が、まるでロボットのように見えて笑えた。音楽はアップテンポをかけっぱなし、足腰が痛い。気がつくと日は傾き、仕事中でも酒をあおりだした。ヴォッカの力を借り、夕食に並ぶ行列との格闘。売り上げは既に目標を超えていたが、止まる事を知らないお客は次から次へと。皆は疲労から笑いが、フィンは収入から笑みが。流れる音楽も止まる事を知らずさらに速くベース音を響かせるようになる。酔いが皆に回りだした。キッチンの中はもうパーティー状態とかして来て、皆暴れだして来た。驚喜の中、確実にピザは売れていく。客もこれだけハッピーなキッチンを見た事があるだろうか。ピザが空を舞う。音楽が生み出した驚喜にかられてカフェタンゴは揺れていた。今までいろんなキッチンで働いたがここまで弾けた場所はここをおいて他ならない。楽しかった。売り上げは期待の二倍、700枚以上ピザが飛んだ事になる。一分一皿近く売り上げた計算になる。よくやったと少し感動。疲れきった体は倒れ込み、ラフとジョーに運んでもらい床に着いた。

最終日、疲労も最高潮。眠気が波のように押し押せてくる。晴天に恵まれたおかげか回復は早く、音楽とともにまた体は動き出す。そしてまた行列の嵐。仕事内容は同じように流れていったが、皆の手伝いもあり日曜は少し楽になった。10時ぐらいだろうか働きどうしだったのでフェスティバル自体を楽しむためカフェをほったらかしにして遊びにでた。コンサートを見に行ったり、辺りを見て回った。ジョーとラフ、マーラとでアトラクションの場所にも行った。まるで子供にでも戻ったように皆ではしゃぎ、回るブランコや、上下に回転しながら動く乗り物に乗って遊んだ。大人になってからでもこういったものは楽しいものだ。子供のようにはしゃいだ夜は、まるで子供のように床につき、夢の中へと意識を深い眠りの中へと連れてってくれた。

同じようにゆっくりと目覚めた朝は、汗だくになり、自分がどこにいるのだろうかと疑問に溺れる。テントから這い出てゆくと眩しい太陽が現実を照らしていた。かたずけを朝食とともにだらだらと体を働かす。五時間かけてカフェタンゴは跡形もなく消えていった。夕方ブリストルにジョンと戻り、パブで皆と合流。一二杯、飲んでインドカレーをテイクアウェイ。辛かった。

2011年8月18日木曜日

ロンドン観光?

ロンドンに行く決意を。水曜の午後、やっとの思いでロンドンに行く決意をし晴天の中また独り歩き出した。旅の自由は俺の足を止める事をやめない。路上に立ち、親指をあげる、ヒッチハイクは始まった。なかなか止まってくれない。それでも六時間かけて七回のヒッチハイクを繰り返し目的地のロンドンに到達した。途中豪雨に襲われ、寒さの中、高速の真ん中で雨に打たれながらヒッチハイクをしているときはさすがにまいった。着いた後にも宿探しには手間をかけ迷いに迷った末、二件のバッパーを見つけ、止まる場所は確保できた。ロンドンは高い。一泊14ポンドから20ポンド。、約14人から21人部屋でそれだ。たまらなく笑いが出る。交渉もきくような所ではなくしかたなく払わされる。予約はいっぱいで、毎日部屋を変えざらない状況にもあった。そしてここでは外国人の旅行者が大半を占め、特にイタリア、フランスそしてスペイン人に囲まれて過ごす日々となった。もちろんほとんどが英語を片言しかしゃべれなく、会話には苦労をした。
初日、ヒッチハイクの疲れもあり早めに床に着き体を休めた。
二日目、街を歩き歩き、時間を潰し夜に備えた。夜は、すぐ近くのバッパーで数人のイタリア人とビールを交わし限りある会話の中で酔いにはいりだした。近くで音楽を聴いていたフランス人のジェズに会い音楽の話が意気投合して仲良くなった。ジェズはイギリスに一年ほど滞在していたらしく、英語はよく通じ、ロンドンの歩き方もよく知っていた。彼はちょうど引っ越しをする間際でその週は止まる場所もなく、夜をパーティーで過ごし、朝から公園で睡眠を取るという生活をしていた。おもしろそうだ。どこに行くかというとファブリック、ドラム&ベースが流れるロンドンで誰とも知る、かなり有名なクラブだ。聞くとDJ Markyが今夜プレイするという。すぐさま決めた、今夜はそこだ。二時間ほど路上で時間を潰した。一緒にいたイタリア人とも仲良くなり、イタリアニーズという言語を勝手に作って話は盛り上がった。簡単にいうとでたらめイタリア語だ。発音を真似して英語を混ぜてけっこううけた。それだけ英単語がイタリア語にもあるのか意外にも通じるときがあり笑えた。そしてファブリック。百人以上並んでいただろうか、深夜12時を回ったときには既に行列ができていた。どれくらい待っただろうかわからないほど、会話に盛り上がり、飲んだくれていた。中に入ると地下に向かう階段が、そしてそこはまるで迷宮、入り組んだ地下トンネルにいくつものステージが隠れている。迷子になりながらいろんなステージを見て回った。仲間ともはぐれたら、見つけるのは困難、それでも中では出会ったりはぐれたり。外に出て一服。中に入って迷子。そうしてマーキィーはメインステージで始まった。いつの間にかみんなとはぐれていたが、これだけは見逃せない。豪快なサウンドシステムの中、サンバ系のベース音が体をダンスへとかり出した。辺りは騒然とし空気を泳ぐようにして重低音をかきわけた。はぐれていた仲間とも再会し共に流れる音楽に溺れた。コンサートが終わると急に蒸し暑さに襲われ外へと足を運ぶ。晴天は目に滲みる針のように虹色に刺さり、冷たい空気は乾ききった肺に氷のように流れ込む。一日の終わりであって始まりでもある。マクドナルドで時間を潰した後、倒れるように床に着いた。
同じような事の繰り返しのように始まった一日は、似た者同士が集まり、単調な一日として流れ、記憶には漠然としてしか残らない。曇り空の一日は憂鬱で二日酔いのまったりした生活には似合わない。疲れきった体は重く、あおる酒はごまかしであり楽しみではない。しかしながら一日は過ぎていき無理をする体は気持ち以上に活動し真夜中の街へと連れて行く。そんな中歩いたオールドストリートは途切れ途切れ記憶に細切れの写真のように残った。朝四時頃だろうか、帰り道のバスの中、急に飛び降りた。降り遅れたと勘違いしあわてて外へ出たのだ。一緒に飲んでた仲間がバスの中から驚いている。歩いて帰るはめになり重たい体をロンドンの西から東へと動かした。揺れる風景は目に入る事さえできず、見る事のできない景色は記憶にはっきりとは写らない。飲み過ぎとは面白くない事だ。
我に返った次の日は晴天。気分転換に公園へ出向く。ハイドパークはロンドンでもお気に入りの場所でとても大きく自分の居場所を与えてくれる。家族がピクニックをしている。年寄りが鴨と戯れている。若者が音楽を弾いたり本を読んでいる。子供達がかけっこやローラーボードで通り過ぎていく。ランニングやサイクリング、サッカーやバトミントン、穏やかな生活は俺を満たし生きた心地に戻してくれ、また気分のいい一日が始まった。半日をごろごろのびのびと公園で過ごした後、街を歩いてみてロンドンの街並と雰囲気を味わった。古い建物に囲まれきれいな街だと思う。ロンドンでは天候の話が盛り上がる訳がわかる。天候がそこにいる人たちの多くを左右する。その日はゆっくりとロンドン見物をしてバッパーに帰った。皆に今までどこにいたのかと心配されていて笑えた。面白いスペイン人のグループにも会った。日本の文化にかなりの影響を受けていて、アニメのような格好と、何かのキャラクターのように日本語を起用する奴らで笑いを誘ってくれた。その日はお酒を控えめにし皆との再会を誓い眠る事とにした。
五日間で200ポンド近く使ってしまった。旅の予算はこのままでは続いていかないがロンドンだからしかたないと財布の中にため息をついた。帰り道の途中、先週、監獄から出たばかりだと言うおじさんに会い一時間ほど話をした。イギリスの過酷な労働階級社会と、生き詰まる時代に取り残されていく、はみだし者達について語った。ヒッチハイクで帰るつもりだったが一時間ほどハイドパークで時間を潰した後、ロンドン人の多忙な人の時間のなさと溢れ出た疲れのためバスでブリストルに向かった。

2011年8月10日水曜日

スモールネーションフェスティバル

ウェールズの広大な緑と、古風作りの家々に囲まれた小さな村の片隅にある農場でスモールネーションフェスティバルは開催された。総員全部で約400から500人ほどだろうか、グラスティングバリーと比べると本当に小さなイベントで最大から最小のフェスティバルへの移行となり驚いた。ステージは二つ、お店やイベントが数えられるほどで、家族ずれが大半を占めていた。外での火を使ったパフォーマンス、ジャグリングや(棒回し)を繰り広げる人たちで日が暮れるまで賑やかだった。夜は静かになり、暗闇の中にぽっかりと光る月明かりだけがスモールネーションの草原を優しく照らしてくれていた。

三泊四日のスモールネーションでのカフェタンゴはそれでも一番賑やかに、最後まで晩餐に明け暮れた。おもしろいことにオーストライアから知り合いのカーラとその友達サイモンがカフェの仲間はいったし、インドで会ったリサとデインも今回のカフェタンゴの成員となりフィン、ラフ、ジョー、ジョン、ジョーシュとで楽しいフェスティバルは仲良く始まった。初日はカフェの準備で忙しく、看板のデザインやキッチン作りに追われた。今回はピザを提供。粘土とセラミックで覆われた大きなオーブンでピザを90秒で作り上げる予定だ。夜は皆で飲んで明かした。

二日目、期待よりも多くの商売敵と予想以下の参加者のせいで売り上げは伸びず、静かなピザ作りで始まった。それでも音楽をかけ仲間は皆、楽しく踊りながらのカフェタンゴは小さなフェスティバルの中で多いに目立ち、歓声を受けた。夜、暇が開いたときに(ほぼ暇な状況だったが)ライブを見に行ってみてウェールズの地方のバンドの音に感動した。氷の塊が粉状になったラインの先に、朝日が昇るまで歌ったり踊ったり、お客用の折りたたみ椅子で投げ合いをしたり、夜はいつも狸のお祭りのように壮大に盛り上がった。

三日目、翌日と変わりもなく静かなカフェは翌日の疲れとともに皆を眠りへと連れ込んだ。
平凡な一日は長く感じられ、終わる事のない落胆は疲れをも拡張させる。音楽さえもゆったりと流れ、小さなフェスティバルはより小さく感じられた。夜中になると自分たち用にキノコピザを作り皆で味わった後、幻想的な時間がゆったりと流れる中一人一人、手に小道具を持ち、音楽を作り始めた。ボールに鍋ぶた泡立て器にざる、スプーンにトマトの缶詰め、などなどアイディアを競い合って愉快なリズムを刻んだ。デインがチベットから持って来た仏教の鈴は皆の注目のアイテムとして取り上げられ、夢中で鈴棒で音を響かせた。その統一された繊細な旋律は虹の彼方から仏を呼び、空へと舞い上がる阿弥陀仏として俺の頭に虹色に焼きつき、夜中、凛という始まりの音とともに別の世界へと意識を蒸発させてくれた。深夜には寒気が襲いキャンプファイヤーの準備を始めたが、都会の者がキャンプをすると缶詰めの中に小さな火を灯し皆で輪になることになった。空腹に襲われ想像力をフルに活動させピザの残り物でいろんなバーベキューを創作し、コーヒーのかき混ぜ棒に刺し小さなトマト缶の火であぶり味わった。そんな中リサが持ち出したマシュマロを見て創案したのがマシュマロピザ、後にミッドナイトマラドールとして呼ばれるようになったが、たっぷりのチョコとバナナ、ウォーナッツにハニーとマシュマロをトッピングしたピザを考案。皆の注目を浴び、夜中のスナックとしてその日活躍した。早朝、霧に囲まれた草原は優雅にも紺色に空気を染め朝日を迎える。キャンプ場に歩き、皆で朝日を待った。空に流れる飛行機雲がまるで世界を変える巨大隕石のように数々飛んでいく中、冷えきった世界に暖かい太陽が流れ朝はいつものように訪れを告げていた。

晴天はテント暮らしにとって災難だ。照り着く日差しはテントの中を灼熱の地獄と変え、疲れきった体を汗だくにして目覚めさせる。重たい体を押し起こしてシャワーに向かう。冷たい水で汗を流し、カフェに向かう。朝食をジョンとともに過ごし、ゆっくりとかたずけを始めた。晴天に恵まれた四日間は嵐のように過ぎ、地面に残る片付けられたカフェの四角い後がまるで作られた不思議の国の塞がれた出口として二度と戻れない時間と空間のように感じられた光景だった。こうして皆でウェールズにあるフィンの親父さんの家に向かった。





疲れきった体はウェールズの家にある静かな自然の中で過ごすと癒しが速い。早朝から朝ご飯を作ったりし、夕方はビーチでバーベキューをすることになった。早速、肉とビールを買いに車で出かけそのままビーチへ。そこで見た景色は広大な丘から一気にビーチと化す英国独特の姿、ビーチから二、三十メートルもいっきに登り建つ岸はオーストラリアのグレートオーシャンロードをも思い出させる光景だった。海にはオットセイが時々見られ俺らの注目を集めた。しかしながら英国は天気が悪いし寒い。冷たい風の吹く中ジョー、ラフ、デインと俺らは海へと飛び込んだ。その間フィンがバーベキューの用意をしてくれ寒くなった体をバーベキューセットを囲み暖まった。久々の肉はまた格段とおいしく食感もとてもよかった。ラフがサンマも持って来ていて焼き魚をもしてくれた。バーベキューが終わると皆でフリスービーやサッカーをビーチでして楽しんだ。驚いたのは潮のひき方、一メートルほどだった満潮時から三時間後、そこには五十メートルほどのビーチが何キロも続いていた。日が暮れるとキャンプファイヤーをして体を温めた。真夜中まで続いた会話は消え行く炎とともに穏やかに過ぎ去り、家路へと向かった。

次の日、ブリストルに向かった。体を休め、次の計画を考えた。それからの日々は、カーラとサイモンにバーベキューに誘われ、彼らの友達のうちでバーベキューをしたり、夜のブリストルの街と音楽を楽しみにジョーシュと外へ出たりして過ぎていった。チェスも楽しんだし、ポーカーもしたりして一週間ほど流れていった。土曜の夜はジョーシュが家の窓からゲロをぶちまけるほど飲んだ。三回ほどクライミングジムへと向かい、なまりきった体に筋肉痛を叩き込んだりもした。