2011年10月28日金曜日

ドイツ入国!!!


十月二十八日、今現在。

ドイツに来てかれこれ一ヶ月近くが経った。
今はベルリンの街の中心から自転車で30分くらい離れたノイコーン(Neucolln)という所のアパート、キッチンとトイレシャワーを共有でドイツ人二人、とイタリア人と四人で生活をしている。光熱費込み、インターネットも合わせて月185ユーロ、ベルリンにしては安い方らしい。
久々の自分の部屋。筆立てに戸棚、クローゼットに机、毛布を購入、部屋用のスリッパに歯ブラシ用のカップ。一年半の移動ばかりの生活から解放されバックパックから荷物を全て取り出し、部屋をつくる一般的な事が懐かしく楽しかった。
観光はまだしていないし、部屋から出る事もまだすくない。とりあえず何もしなくていいという安泰感を味わう事に専念し、一ヶ月近くも経ってしまった。
毎日ギターを弾いたり、絵を描いたり、アニメ見たり、ブログ書いたり、半年もほったらかしにしていた旅のビデオにも手を付け出したり、忙しくはあるが生活が一日中部屋の中で暇をも感じたりした。んま、こんな生活が必要だと感じてたから、自分整頓といったところだろうか。それに今はとにかく寒くなってきているし動きたくないのも事実だ。
ドイツ語はまだ全くといっていいほど話す事はできない。若いものはだいたい英語で通じるが、街から離れたり(俺が住んでる所も)、ドイツ人以外の人(トルコ人やアラブ系が多い)、それから三十代後半の人は英語が通じず会話には苦労する。
とりあえず仕事は二つ見つけた。ビザはまだワーホリには変えきれてない。住所登録待ちだ。ドイツ語勉強に手をつけようと、まだやる気が起こってるわけでもない。今までが今までで奇跡的で、中途半端な気持ちになって来ているのは確かだ。とにかくここに書く事で自分に言い聞かせる事ができるかもと、活を入れ直す気持ちだ。

んま何もしてないと言う訳じゃないが、、、

とりあえず、ベルリン到着から書くとします。



到着、家探し

10月3日月曜日、ベルリンのSchönefeld国際空港に朝八時に到着、事前にインドで会ったセブーに連絡していたので迎えに来てもらった。彼もベルリンに引っ越して来て一週間しかったっておらず偶然の再会に感動した。フェイスブックのおかげで連絡が取れたのだ。最近のインターネットはとても便利になったものだ。
とりあえず少しベルリンを回ってから朝食を共にし、そいつの家に泊めてもらう事になった。次の日から仕事が始まるらしく、忙しい中お世話になり感謝した。夜は一緒に飲みに行きアレーシアで旅を一ヶ月共にしたアンジーにも再会。後日、その子に今住んでいるアパートを紹介してもらうが、持つべきものは友達だと本当に感謝。二日間セブーの家で世話になり次は中国で会ったイスラエル人のバーの世話になることになった。セブーの家は街から遠かったし、仕事が忙しそうだったから早めに出ることにしたのだ。
バーの家は街の中心街にあり、いろいろと世話になり飲みに行ったりもした。親戚が来るというのでそこにも長居は出来ず三日後に、今度はマレーシアで会ったことのある友達バフ、の家(Neucolln) で世話になった。バフの家はかなり大きく、ガレージにワークショップがあり地下も広くあり楽しそうな家だった。芸術家の集まる家らしく、今後が楽しそうだ。そこにも三日間、それからアンジーから連絡があり、今の家が見つかった。かれこれ一週間、特に自分から何をするでもなく、いろんな人に世話になった。感謝感謝。



ベルリン

ベルリンはドイツの首都であり(着いて知りました)、北東に位置し、ポーランドやデンマークの国境に近い。冬は雪がかなりつもるらしく、地面も凍りつくらしい。第二次大戦でひどく被害をうけたらしく街は再興のおかげでかなり構成され、外見は単調で、個人的にはイギリスを見た後だったので少し面白みに欠けた。ベルリンの壁の崩壊後、首都になりここ十年で急成長したしたらしく本当に真新しい街だ。
とりあえずベルリンに住む気になったのはベルリンが芸術と音楽の街として知られ、学生の街と呼ばれ、楽しいと聞いたからだ。聞いた通り。カフェに入り人と話すと、画家だとか音楽家だとか、写真家、役者だとかデザイナーだとかばかりに出会い話が盛り上がる。歩く街のそこら中にストリートアートが描かれており影響させられる。
トルコ人が多く主にケバブを削っている。イタリア人にイスラエル人、多国籍なところだ。
比べると少なくはあるけど、意外にも日本人の人口もあり驚いた。
とりあえず一ヶ月経った今の感想だ。



ビザ、、、

本心はパリに行きたかったが、ドイツでしかワーホリは採れず苦しくもの選択と言えないこともないのは事実。ドイツでは観光で入ってからドイツ内でワーホリビザが採れる事になっている。(2011年11月現在)俺はまだ採れてはいない。
とにかく日本で取得できるなら日本国内で取得する事をここではお勧めする。
もしくはドイツ国外のドイツ大使館でが一番お勧め。
俺は先月までイギリスに四ヶ月、インドに三ヶ月いたので、ドイツ国内で申し込む事になった。イギリスでやっておけばよかったと後悔、、、

困難ではないと思うがとにかく面倒臭い、、、

まずは外人局に行かなければならないのだが、予約は不可能。
電話には絶対出る事はない、と思う。出てもドイツ語対応。

一度目の外人局訪問。
相手にされなかった。次の朝の六時に来いと説明も受けず門前払い。外人局なのに英語も全く通じる事はない。アメリカ人やオーストラリア人も同じような状況で待ち合い室で困惑していた。

日本大使館に行って説明してもらうと、ドイツの外人局はそんなもんだよと、先が思いやられた。

二度目の外人局訪問。
電車で乗り換え三つ、一時間かかる。朝四時半起きで向かった外人局には、なるほどもう列が出来ていた。整理券を取る事ができ、待合室に座った。誰も何が起こっているのか説明できるものはいなかった。それでも五時間後、自分の番号が呼ばれ対応される事に。限られた英語の中で必要事項を言い渡され、もう一度来なさいと言われた。



取得に必要なものは、パスポート、申請書、現金30万円以上持っているという証明書、滞在期間中有効で、歯の治療にも対応した保険に入っている事の証明書、そして住所登録書。

申請書は日本のものは使えなかった。既に出国しているのでエラーになるんです。外人局のサイトでは全部ドイツ語なので探すのも困難。友達に頼んだがそれでも難しかった。結局外人局でもらいました。顔写真を自分で貼付けてください。自分で撮影でしたほうが遥かに安い。サイズに注意してデジカメでやってオケー。

現金所持証明書は、銀行の残金さえ書いてあるものならネットバンクの残高を印刷したものでオケー。

そして保険。日本の海外保険では高額なので、ドイツのものを取得したが、これにも時間がかかった。言葉が通じない事にこれほど苦労した事はない。それでも一年間分で550ユーロ。六万円近く、、、

そして今、待っているのが住所登録。
ドイツでは法律で自分の住所を登録しなければならない住民登録が義務づけられている。たぶん日本でも同じような事があるだろう。これが今までワーホリビザが採れていない理由だ。家の大家さんと住み込みの契約。家主から俺が住んでいる事の証明書。その二つを持って警察署に行き住民登録書を発行してもらうのだ。

それでワーホリビザが取れる。らしい、、、
それでも検査委員の個人的な判断に任されるらしく、いいかげんだ。

とこんな感じです。


とにかく今は暗くなってもしょうがないので前向きに一日を過ごしてます。

2011年10月20日木曜日

イギリスに別れを、、、


ブリストル

元気になってからも、とくに大きな変化はなかった。ブログにギターの練習、アニメを見たり、友達とバーベキューをしたりした。夏は終わりに近づき、天候も悪化する一方。寒さが増したので買い物にも出かけた。ジーンズを購入、着用していたら皆に驚かれた。新しい靴を買ったときも笑われた。ヒッピーな生活はそれにて終了。ウェールズの、とある田舎で二日間のFood festivalもなんなくこなし、ハウスパーティにもいくつか参加。マッシュルームなんかも時にはでてきたり、ゴルフにいったりもした。そして二週間が過ぎた。




ロンドン

旅立ちまで五日間。最後の週末はロンドンで過ごす事にした。今回はテレツコのお世話になってもらう事に。ここではメルボルンで一緒に住んでたイタリア人のマテオとも再会。久々に会う顔に、笑顔がでる。二人でテレツコの家に泊めてもらい、毎晩夕食を共にした。十月の頭、ロンドンでは奇跡的にも晴天に恵まれ、週末は最高気温も27度を上回る季節外れな心地よい日が続いた。一晩テレツコのシェアメイトとインプロでジャムをした。寿司をつくった。できはそこそこ、、、土曜の昼、マテオとCamden town を歩いて回った。その街は個性に満ちあふれ活気があり、買い物をするならおもしろそうだった。
そして夜はフィンとラフ、ジョーがロンドンにきてハウスパーティに行くらしく、連れてってもらった。ロンドンにしては大きなハウスパーティだった。朝まで音楽は続いたが、近所からの苦情もなく楽しく時間は過ぎ皆との別れを惜しんだ。マディーと一緒に裏庭に布団を敷いて朝日を草原で迎えた。楽しかったが、少し寂しかった一日でもある。
昼は皆でピザを食べに行き、それから別れを告げた。休む間もなく荷物を取りに戻る。テレツコとマテオにも別れを告げ、ドイツに向けて新たな旅は始まった。

2011年10月14日金曜日

夏の終わりに ベスティバル

明くる朝、簡単にラフの家族に挨拶をし、早々にフィンの家へと向かった。最後の荷物をまとめ、バンに積み込む。車の中は、はち切れんばかりにいっぱいになり、ドアを閉める事も困難だった。一晩ウェールズで過ごして、ブリストルへ昼頃でかけた。ベンとルーシーも仲間にくわり、彼らの荷物をさらに押し込む。夕食をフィッシュ アンド チップスで軽くすませ、夕方頃、ベスティバル開催地、南イギリスの島、Isle of Wight へと向かった。かれこれ四時間、フェリーの発着地に着いた。フェリーの出発まで一時間、仮眠をバンの中でとり時間を潰し、フェリーに乗り込む。島に到着はしたものの、24時間営業のTesco を探し、道に迷う。一時間以上、迷子になったあと、買い物をすませ、ベスティバルの駐車場に向かった。駐車場に着いたのは朝の四時頃だったろうか、朝の八時にはキャンプサイトに行く事になっていたのでテントも張らず、車の中でまた仮眠を。そして気づくと外は嵐。車が揺れに揺れて目が覚めたのだ。ちょうどこの日、アメリカで被害の出ているハリケーン、アイリーンの勢力がイギリスにまで届いたのだ。冷たく鋭い雨に、響き渡る豪風。その日、ベスティバルへの入場は禁じられた。また車の中で一日を過ごす。リンゴとポテトチップスでは腹は膨らまない。街に出て鶏肉と食パン、サラダを購入。サンドウィッチとバターで一日をやり越し、また車の中でじっと一日を過ごした。

嵐の過ぎ去った次の朝は晴天に恵まれ、少し海風の残る中、一日の遅れを取り戻すため慌ただしくカフェタンゴの建築へと勢を入れた。車から降りると、今まで座り続けて来た体はまるで鋼のようにカチコチに固まり、深呼吸が懐かしかった。皆、イロイロと仕事をしている中、俺はギターを弾き、歌を歌い、皆に音楽を提供した。一日遅れの作業だったがなんとかキッチンは出来上がり、後からやって来たものも含め夕食は作る事ができた。その日は俺とジョーとジョンは雑魚寝して寝て、また次の日朝早くから仕事に勢をだした。

初日、売り上げはそこそこ、今回はピザの他ジュースバーまでも出しているカフェタンゴ。メンバーもかなりの人数がいて外を回る時間ができ、フェスティバル自体を堪能する事もできた。約六万人ほどの参加者がいたらしいがこれもまた大きかった。キャンプサイトの端から端までは目は届かず、数えきれないほどのステージ。なんといってもベスティバルのラインアップはただ事ではなかった。
初日夜は、待ちに待ったSantigoldを見に行った。大きなステージだったので遠くからでしか見る事ができなかったが、その偉大さに圧巻された。何千人という観客が押し寄せてすき間なくステージを見上げている。Santigold の力強い音楽は真っ青なマーキーの中でネオンに輝き、反響によって響き渡っていた。荒れ狂う人だかりの中、皆ともはぐれ、記憶ももがれ、一日は過ぎて逝った。

二日目、開催地に着いて四日が経過しているが、朝起きて持参したインスタントヌードルを作りにカフェタンゴに向かう。その忙しさには驚いた。朝食がこんなに忙しかったのは初めてだ。腹を満たした所で仕事に取りかかりだした。ピザの方は結構準備はできていて、焦る必要はなかったが、朝に比べると客入りが少なく、呆気なかった。暇が開いたので休憩を取りシャワーを浴びにいった。
かれこれ一週間ぶりだろうか、溢れ出る体臭には嫌気がさしていたから祝福の瞬間だった。シャワールームは徒歩20分も離れた場所で、温水の方には行列ができていた。仕方なく真水で浴びたが、さすがに冷たかった。凍えながらもこれとないシャワーには感謝し、心地よくなった体は寒さを感じるよりも、新鮮な空気を吸い込んで、気分は爽快になった。
それから日射しの中、仕事仲間と布団を草原にしいてごろごろし、キッチンに帰った。夕方になるとまた待ちに待った”Danny Byrd” がコンサートをやっているので、友達に頼んで仕事時間を変わってもらった。この時間帯はみんな忙しく、”Danny Byrd”には一人で行くことになった。開催地のほとんど反対側にあったステージには早歩きで40分くらいかかったろうか、Danny Byrdが始まるぎりぎりには間に合い小さなマーキーの中でDanny Byrdは幕を開けた。
壮絶なDrum & Bass が始まると同時に、観客は踊り狂い、モッシュが始まった。自分もかなりいい気分だったのでモッシュに参加する。押し合い殴り合い、力のつく限り暴れ回る。汗が流れる、足が踏まれる、顔が殴られる、それでも中に入り暴れ狂う。誰が始めた事なのだろうか、暴力が音楽によって正当化される。だが誰も喧嘩をしに来たわけではない。その中に憎しみはなく、見る顔皆が笑顔に満ちている。ベース音がフェードアウトしていく。すると皆距離を置き様子を観る。中心には輪ができ、開ききった空間ができた。ベースが帰って来る。予測されている瞬間に、囲まれていた空間に飛び込むようにモッシュが始まる。思うがままに体を動かし、力の限りに音楽へと飛び込む。端から見たら阿呆だろうか?突き飛ばされ、輪からはみ出た。踏みつぶされ、靴が弾きちぎれた。疲れが出て、蒸し暑苦しさが押し押せて来た。40分くらいいたろうか、こじ開けるように人ごみを抜け外に出ると爽やかな風に吹かれ気分は爽快。その爽快感の中、靴はぼろぼろになっていて裸足でカフェタンゴへと帰った。
皆に、Danny Byrdの話を興奮した状態で話し、靴を見せ笑った。それから、時間帯を変わってもらっていたので閉店まで働く事になったが、体の中の興奮は治まる事を知らず、カフェタンゴの中でも大音響に身を任せ、朝の四時まで仕事に明け暮れた。

翌日も同じようにインスタントヌードルで始まり、忙しい一日が始まった。疲れは出て来ていたが皆も仕事には慣れだしていてうまく一日は過ぎていった。この日はDiploがDJをやっていて皆で見に行った。Diploもまた最高のステージを演じてくれて、皆でハイになり、カラフルな夜は時間を失い、浮遊間だけが記憶の中に残っている。
途中、仲間と離ればなれになり、出店の飲み物を眺めていると、ジョーに再会。何千人という群衆の中で、驚きは歓喜に変わり、疲れ果てていた体はまたひとつステージを見に行こうと活気に満ちる。皆に合流してカフェタンゴに帰り、皆でラフのテントの中でつぶれるまで飲み続けた。

最終日はいつも。仕事は九時頃には抜ける事ができ、念願のBjorkを皆で見に行った。回りのものはあまり興味がなく、説得に時間がかかった。それでもBjorkが始まってすぐステージにたどり着き、その摩訶不思議な音域に身を委ねる事に。30分も経たないうちに俺の友達は飽きてしまい、場所を変える事になってしまい残念だったが、かなり遠くから見ていたのでしょうがないとは思った。
それからサラの友達Ben Howard を見に行った。アコギとチェロ、二組だけでの演奏はまさに美しく、疲れきっていた体に旋律に流れた。観衆はみんな地面に座り、ステージを見上げている。ゆっくりと体を揺らすものも。目を閉じて見えないものを感じ取っている観客も。まるで静かな海原を漆黒の森林で見つけたのごとく、雄大なメロディーは柔らかく流れていった。
音楽を言葉にする事はおもしろい。意味の分からない事を表現するように、感じ取った事は鮮明さに欠け、辻図間の合わない状況は言語を持たない会話になる。それでいて自己満足的な表現だと言われれば単純にそれだけのものであって、共感をいただこうと書く事はできない。それでも感じた事に対してなるべく正確に、正直に感想を書く事によって、この幻想的な情景は現れて来る。書く事が好きになった理由である。
と、とりあえず、Ben Howard のコンサートの後、気分転換に皆でレスリングをやった。しけた雰囲気と言われれば皆静まり返っていたのは確かだった。暴れに暴れた。ベンに腕十時を決めたときは歓声が上がり面白かった。それから小さなマーキーでエレクトロを聞き踊り狂い、醒める事なくまたラフのテントで皆で風船を飛ばして遊んだ。

月曜日、目が覚めるとそこはまるで別世界。ほとんどの参加者達は帰路に着いたのかあたりには人影はなかった。代わりにその光景は暴風によって飛び交う無人のテントによってあたかも違う惑星にでも来たのかと、一瞬錯覚した。荷物を失ったテントは軽くなり、転がるたびにまた一つ、また一つと巻き込みながら飛んでゆく。大木は色とりどりにテントで着飾られ、防風林は風よけよりも、ゴミだめとして外に被害のでないよう堤防のように立ちはだかっていた。暗くなるまで撤去作業は続き、夜中10時過ぎ、ブリストルに向けて帰路についた。
真夜中の高速は直線に長く、道路上の暗闇に並ぶ反射光は転々と永遠に続いていく。淡々とした車線に高速で走る車の中は眠気と疲れを猛烈に運ぶ。変わる事のない景色に、前進しているのかさえ疑惑さえ出て来る。不思議と動いている車の動力に魔力さえ感じ、まるで魔法の絨毯にでも乗って、魔法の世界にでも方位をとっている気さえした。現実と夢の最中で呼吸の音に耳を澄ませ、途切れる閃光の先に時空の旅をする錯覚を見た。万国博覧会の建築物達が辺り一面に現れて来る。運転をしていたはずのラフと隣に座っていたはずのオリーが道化化して飛び回っていた。暗いはずの夜空に眩しい光が入って来る。もっと奥まで行けそうな気がするけれども、その先には行ってはいけない場所があるような妖気が漂い躊躇という判断力が邪魔をする。朗らかな音楽が流れ出しサーカスが始まった。そこにはもう想像と呼べるよりもはっきりとした、楽園が走行中のフロントガラスには映っていた。
ふと目が覚める。ラフのだいぶ疲れが出てたようで、休憩所に一時停車、爆睡していた。休憩後、午前六時、ブリストルに到着。無事の生還と、ちゃんとした布団の中に入ったときの感動は今でも心に残る。

それから三日間は蜘蛛の糸が切れたようにだらりと垂れ下がり、枯れた植物のように水分を吸い上げる力もなく、ゆっくりと冬眠する熊のごとく体の回復に時間を費やした。




ブリストル

元気になってからも、とくに大きな変化はなかった。ブログにギターの練習、アニメを見たり、友達とバーベキューをしたりした。夏は終わりに近づき、天候も悪化する一方。寒さが増したので買い物にも出かけた。ジーンズを購入、着用していたら皆に驚かれた。新しい靴を買ったときも笑われた。ヒッピーな生活はそれにて終了。ウェールズの、とある田舎で二日間のFood festivalもなんなくこなし、ハウスパーティにもいくつか参加。マッシュルームなんかも時にはでてきたり、ゴルフにいったりもした。そして二週間が過ぎた。


2011年10月11日火曜日

ウェールズにて


三日間も寝込んだ後、調子よくなって来たという最中、ウェールズでレイブパーティーに招待された。全く持って圧倒される。ラフの友達の親戚かなんかで、40歳になる誕生日パーティーだと。親戚同士のパーティーだと期待せず、あまりはしゃぐ事もないだろうと、とりあえず行ってみる事にしたがこれまた文化の違いに驚かされる事になった。人の住む所から人里離れたその叔父さんの家で行われた、ハウスパーティー。まずは駐車するためのフィールドの広さ、そして牛小屋丸一つ、が、ばかでかいステージと化し、トンネルのように続くレンガ製の小屋が、ひとつの社交会場とでも言おうか、そしてばかでかいたき火、面積に驚かされる。これが個人の持ち得る土地だろうか。ステージもこだわって作られており、ライブにコメディー、ヌードショー、こだわりがある。誕生会だけにしては規模が大きすぎる。フィンの父や、ラフの母まで来ていて大音響の中、楽しんでいた。そこにはフェスティバルで会った友達もいて、うまく馴染め楽しんだ。みんな仮装していて、荒れ狂うライブの中レイブは朝まで続いた。イギリス本場のパーティーを学ばされた一つの行事である。

それからラフの家に泊めてもらう事になり、ウェールズの広大な大地を車で走った。狭く、曲がりくねった道を時速100キロは簡単に出してしまうイギリス人。事故が少ないのが信じられない。よくレースをこの道でやったんだと安心させているのか、自慢しているのか、加速する車はラフの家に無事に着いた。イタリア人のラフの母は陽気で面白かった。家はまるでジブリの世界にでも出てくるような古風で大雑把。至る所から、鍋や食器がぶらさがっていて、大木で天井から柱まで落ち着いた雰囲気を出している。サニールームもあり、今まで見た家の中で一番気に入った家だ。文化遺産になっても全然不思議のないくらい、あまりにもいい家だった。その家に泊めてもらう事になり、夕食もごちそうしてもらった。そして、またラフの部屋にも驚いた。屋根裏部屋のような造りで、完全な木造建築。窓が大きく、とても住み心地が良さそうだった。いつかはこんな家に住んでみたいなと、夢に自分の将来の生活を描いてみたこの頃である。

2011年9月21日水曜日

シャンバラフェスティバル


ブリストル

やっとの思いで帰って来た家は懐かしく、静かな生活が始まり、ブログやギター、絵など描いて過ごした。ベルリン行きの航空券を購入。一ヶ月後にはイギリスを発つ事にした。シャンバラフェスティバルのチケットも購入。旅の帰りから三日後にはまた混沌が始まる。じっくり体を休める事にし、三日間は家の中でゆっくり過ごした。




シャンバラフェスティバル

初めてフェスティバルのチケットを自分で購入、ただではない、、、 約17000円ほどのチケットだ。高いと思いながらも多くの友達が参加、お勧めしたフェスティバルだったので行ってみる事にした。それと初めてフェスティバル中働かなくていいので、一日中フェスティバルを楽しむ事ができる。このフェスティバルの開催地は開催日まで秘密、全てのパフォーマーもアナウンスされておらず、いったいどんなものなのか気になった。金曜の昼頃、ラフの車に乗せてもらって、フィンと三人で向かった。迷子になりながら三時間以上かけて到達。冷たい雨が開催地で俺らを迎えた。チケット代を払っているので、かなりショックだった。雨の中荷物を運ぶ。今回はカフェタンゴがないためサイト内に車を入れる事ができない。遠い道を大きなバックにテントを持ち運んで、雨の中歩く。寒いし暗い、荷物が重いし多い。雨の中テントを張る。夕方はタンゴの仲間達に合流してテントの中で寒さをしのいだ。雨に風、夜、少しフェスティバルを歩いたが、空腹のせいもあり早めに寝にいった。

早めに寝たせいもあって、翌朝はまだ友達皆が寝てる間に起きた。一人でフェスティバルを歩き出す。この日の朝は少し青空に恵まれ、心地いい散歩日和となった。今までのフェスティバルで中くらいの大きさだろうか、一時間ほどあれば全て回れるほどの広さだが、あちこちでいろんなイベントや、珍しいハンドクラフトのお店、雰囲気のいい広場に、雑木林に隠れた通り道、潜水艦の浮かんでいる池、ウロウロしている間に時間はあっという間に過ぎていった。午後、テントに戻り皆と合流、それからフィンと歩いて回り、カレーを食べて、雑木林の中にあるステージでハープのコンサートを見た。ギターと、ハープだけのコンサートの音色は、その森林と一体して美しく、ステージは大きな木の上に建てられている家で創られていて、そこの大きな窓からの演奏となり、まさにおとぎ話の中の世界だった。夕日の暮れる頃、メインステージに向かい皆と合流し、Correspondentのコンサートを見た。エディンバラで見たときの何倍ものステージで踊っていたCorrespondentはさらにおもしろかった。その後少し間が空き、Lamb が登場する。lambのコンサートは今までの人生で立ち会った中で最高のコンサートになった。感動した。Trip-Hop の音はそこにいる全ての観客を飲み込み、揺れていた。皆で輪になり、抱き合い、目を閉じ、一つになった。体の中をLambの音が響き渡っていく、何も見えなくなるほど目を閉じた。感覚だけが音を拾っていき、足踏みの感触だけが体に伝わってくる。音楽をここまで愛する事があるだろうか?祝福に満たされた自分を見つめる事に酔って、音楽の素晴らしさに直面する。神様が実在するなら、きっとその人は音楽家だったに違いない。誰かが言ったような気がするが、まさしくその通りだと同感した一時間だった。目が覚めるように終わってしまったライブは、まさしく夢のようだった。それからシャンバラフェスティバルを着飾るように大きな木馬の建物に火が灯された。高さが、だいたい5メートルほど、長さは10メートルはあったろうか。灯された火は一気に燃え上がった。体が熱くなる。10秒もしないうちに爆発的に広がった光は何十メートルにも登り、そこにいた観衆を脅威に脅かした。遠くにいるものはもっと近くに行きたくて押し合い、近くにいるものは炎の熱により恐怖し、外に逃げようと混雑は混乱を生んだ。一番前にいた俺らも、熱さに驚き、結構慌てた。その後、皮肉にもKamikazeと呼ばれるステージでDrum & bass のコンサートは始まった。ラインアップは忘れてしまったが、好きなジャンルに体は動いていく。一日の始まりはそれからなのか、夢から覚めた後も凄まじいベース音が体を流れていく。小さなダンスステージにみんな集まった。そこに登ると、その会場全てが見え、歓喜によってDJに吸い寄せられる観客の動きが点灯するライトによって照らし出されていて、それはまるでストップモーションフィルムのようにこまごまと動き、あたかもまた夢のように現実は動いていた。光のテンポが遅くなると、ひとこまひとこまの間が大きく開き、人の動きがゆっくりと感じられ、まるでスローモーションの世界に飛ばされた気がした。朝の三時くらいになったろうか、Kamikazeは記憶にとどまる事なく終わってしまった。すると仲間がまだ隠れステージがあると言い、柵をこじ開ける。なるほど、そこには細く、長く、また道ができている。不思議の国にでも行くようにして、通りを抜けると、そこには小さな会場があり、パトカーをステージとして作り上げてあり、DJがおまわりさんの格好をして、音楽を流していた。イギリス人のユーモアだろう。つい二週間前にロンドンであった暴動をもうネタにして音楽をかけている。パフォーマンスもなかなか凝っていて、暴動者の真似をし、パトカーに体当たり。するとおまわりさんが出て来て一網打尽に暴動を暴力で解決する。身近なニュースだったので結構笑えた。空を見上げると、晴天の漆黒に星が何千と輝き煌めいている。空を見つめていると、流星が一瞬に輝く空を流れていく。空に吸い込まれると、現実の世界から遠のいて意識が離れていく。気がつくと空は明るくなりだしていて、星の数は消えていった。朝日の登りだした頃、皆でキャンプサイトに帰り、ラフの大きなテントの中で、パーティは次の日の昼まで続いていった。

最終日の日曜がやってきて昼過ぎにテントから這い出る。すでに音楽がどこからともなく聞こえて来る。となりのテントに泊まっていた人に、ガスストーブを借り、持って来ていたインスタントヌードルを温める。スープはいつでも二日酔いにいい。醤油とニンニクを分けてもらって、少しマシになったスープをすすると、少し元気になったが体は重い。テントに帰りまた一眠り。結局夕方近くまで寝てしまったのか、そこらへんの記憶はあまり残ってない。それからライブを皆でいくつか見た後、ブリストル出身のバンド、Disraeli and the small godsを見に行った。いい音を出してはいたが、あまりにも混雑し過ぎていて、踊ることもできなかった。そうして、フィナーレの花火が始まった。池を挟んで見える花火は昨日の木馬の火玉のようには熱く燃えず、豪快さにかけた。それからまたKamikazeに戻り、Drum &Bassを聞きにいったが、同じ事の繰り返しに見えたステージはケミカルに欠け、単調に過ぎた。最終日がこんな風に終わってしまったのは少しがっかりだったが、土曜があまりにも最高の組み合わせだったからかもしれない。マーキィーで行われていた映像と音楽のライブで最後のライブとなったが、疲れのせいか、その光り輝く天井の幻惑的な芸術さえも、ただの白黒映像に見えてしまい、素っ気なかった。それが終わった後、皆でテントに帰り、夜を語り合い、いつの間にか夢の中へと堕ちていった。

気がつくと昼は過ぎ、回りのもの達はテントを終い帰りだしている。今回はカフェタンゴがないので、普通の参加者と同じ時間にフェスティバルを出なければならない。俺らの仲間はまだ寝てるものもいたが、まだはしゃいでいるものもいた。元気なものだ。辺りを見回してみた。捨てられたテントや、ありとあらゆるゴミでその場はまるで別世界。すっぽりと開いた空間に取り残された空き瓶のように存在する自分に覇気を入れ、荷物をまとめだし、皆に声をかける。しゃくれた声で皆と会話し、かたずけを始めた。記憶の中には早送りに見える記憶も、その場にいたときはまるで一秒が永延のように感じられ、かたずけにどのくらい時間を費やしたのか疑問に思う。車を運転するラフの体力に感動し、安全を願いながらもぐっすり眠ってしまった。ブリストルに着くと早速パブに向かう、皆との再会、疲れきった体にもう一あおりビールを入れ、楽しかったと話をした。全く持ってイギリス人の体力には圧倒された。

次の日からまた次のフェスティバルに向け準備があり、ウェールズに向かったが風邪をこじらせ三日寝込んだ疲れが出たのだろう。フィンはしっかり休んどけと、一人準備に張り切っていた。ラフも手伝いに来て働いている中、俺はガッツリ寝込んだ三日間だった。

2011年9月18日日曜日

三度目のロンドン観光

セシルの朝九時のロンドン発、フランス行きの出発に合わせて、朝四時に起床。眠い頭にコーヒーを流し込む。ジャックに別れを告げセシルの車で、フレドリックとロンドンに出発。早朝五時にロンドンのビクトリア駅に到達。駅で地べたに寝転がり、数時間の睡眠を取りさらにマクドナルドで仮眠を。11時にフレドリックはノルウェー行きの飛行機に乗るため空港に向かい別れを告げた。俺はロンドンのハイドパークの近くにあるバッパーに向けて歩き出した。その後、シドニーで一年間一緒に暮らしたテレーザと六年ぶりに再会。懐かしい友達に会い感動した。その日はその子の所で夕食をごちそうになり、泊めてもらった。この六年間の話や、シドニーでの生活、ロンドンの生活について盛り上がった。

次の日の昼、中国で旅をしていたときに会ったアンソニーにボンドストリートで会い昼食を共にし、ロンドンの中心街を観光した。

ロンドンに来た目的は俺の母が観光に来るからだった。通訳と観光案内、それから久々の再会をかねて、自分もロンドン観光をしようとやってきたのだ。夕方七時に母から連絡がありホテルに着いたとの事。ホテルまで迎えに行き、無事再会を果たした。その日は、母をモロッコ料理に連れっていってやって(ごちそうにありついて)ワインを共にし、自分の旅路や、家庭の話で盛り上がった。

母に朝九時に電話で起こされ、騒々しい観光が始まった。まずはハイドパークを横切ってボンドストリートまで散歩をし、そこから母の目的であった、リバティーという店に入った。その店の建物は1924年に二つの軍艦を解体して創られたそうで、独特で、店内の装飾もこだわりがあり、中を歩くだけでもおもしろかった。それから昼食をパブですませ、徒歩で街を観光、SOHO通りを歩き、テムズ川に向かい、船でゆっくりとロンドンブリッジに向かった。夜はシアターに行き、ビリーエリオットというミュージカルを見に行った。いろんな人から勧められていただけあって、そのショーは感動的だった。英語のわからなかった母でさえ感動していた。メインの子役とそのサポートの子役がとてもいい役をしていておもしろかった。それから母とパブに飲みに行き、結構一緒に飲んだ。

次の日は朝早くから母がフラワーアレンジメントの習い事がありつき合わされた。電車に乗りロンドンから約三十分南に離れた田舎に向かった。広大な丘に囲まれたきれいな街にたどり着き、フラワーアレンジメントの先生に迎えに来てもらい、街を案内してもらった。もう一人日本人の女の子も講習に参加していて三人で講習を受けた。花の使い方は意外におもしろく、楽しい教習となった。先生の家はとにかく豪華で、庭も広くきれいだった。教習の後、四人でティータイム。おいしい紅茶と、ケーキでお腹はいっぱいになった。ロンドンに帰り、まだ明るい午後の街で夕食を探しに歩いて回り、母に感謝しながらイタリアンレストランでラザニアをごちそう。日が沈むと母はホテルに、俺は前ロンドンに来たときにつるんだ友達と飲みに出かけた。この日から右の手の中指が腫れだしていた。原因はわからなかったが膿みが指先に溜まり痛かったため、この夜切り開く事を決断。カミソリに消毒ガーゼ、カットバンを用意。それからヴォッカを一本。皆で騒いだ深夜、路上でオペは開始された。フランス人のジェズに頼み中指を差し出す。ジェズが主治医、スペイン人のパウラが看護婦となり、お医者さんごっこは本格的に?始められた。消毒を終え、すぱっと切られた指からはドロドロの血液が流れ出た。結構痛かった。皆が消毒の手伝ってくれた。酔った上、わめいた。血液を失った。そして路上で弾き語りを始めた。騒々しい一日はまたも慌ただしく過ぎて行き、楽しい一日は一つの思い出として残った。

早朝に母に電話で起こされ、公園で会い、中華をごちそうになった。それからは血液不足と二日酔いで、その日は観光する気になれず、俺は公園でのんびりと時間を過ごす事に。母は買い物に出かけた。数時間晴天のもと公園で昼寝をしたあと、母が買い物から帰って来てうれしそうに買ったものを披露してくれた。夕食を共に、またイタリアンをごちそうになり、感謝感謝しながら海鮮パスタを注文。ワインにオリーブと食べ、豪華な食事は食卓を着飾った。それからまた友達に会い今度は公園の中で飲む事になった。皆で閉じられた柵を乗り越える。真っ暗で静かな公園の中に俺らの笑い声だけが響き渡る。池のそばまで歩き、地べたに座り込む。そこで飲みだした。他にも人が飲んでるようで笑い声が遠くから聞こえていた。ギターを取り出し気ままにコードを奏でる。適当に歌詞をつけ皆で歌った。ひっそりした森林に囲まれた公園の端から流れるメロディーが、酔いとともに空気を盛り上げる。暗さに隠れた皆の素顔は、薄らと月明かりに照らされていて、笑い声だけがはっきりと伝わって来る。星明かりが普段より数段明るくきらめき、小さなその場だけの世界観が生まれ祝福は深夜まで続いた。

夢から覚めた後、21人部屋の小さなベットの上で、いったい何が起こったのか一瞬迷った。母からの電話がなり現実へと振り返る。チェックアウトを済ませ、公園へ出かけ二人で散歩をした。フラワーガーデンを歩きアイスクリームを食べ、ベンチでゴロゴロと。ホテルまで見送りをして母は日本へと旅立った。ボンドストリート、ロンドンブリッジ、SOHO、ビッグベン、観光船、レストラン、などなど、観光者になりきった週末だった。それからバスでブリストルに久々に帰る事にし、友達に別れを告げ、帰路へと落ち着いた。

2011年9月14日水曜日

ブライトン


エディンバラから夜行バスで約10時間半、ロンドン経由で朝の9時にブライトンに到着。久々の長旅で、眠気の残る頭と、座り通しの腰の痛みをずっしり感じる中、海際のバス停で海風とともに朝を迎えた。ブライトンはエディンバラとはまた違った雰囲気をかもちだし、観光の街として賑やかだ。それにイギリスの南海岸に位置するこの場所は、まだ温かく、久々に心地よい晴天を迎えた初日から、俺をいい気分にさせてくれた。ここにはオーストラリアでシェアをし二年間一緒に暮らしたフランス人の友達セシルに会う目的で来た。その子と友達のジャックに迎えに来てもらい。ビーチでコーヒーを一杯。ビーチと言ってもブライトンのビーチには砂がない。代わりに丸石がごろごろしている。それに温かいと言ったが、それはエディンバラと比べててあって、さすがに泳ぐ気にはなれなかった。車でジャックの家に向かう予定だったが、駐車しているという所に行くと、セシルが借りていたレンタカーがそこにはなかった。駐車禁止の場所に停めていたのだ。レッカー車に持ってかれたらしく車の後はそこにはなかった。近くにいた警察の人に事情を説明、どこに連絡を入れるのか聞き、電話、持ってかれた車の場所を聞き、まずはストレス発散のためビールをパブで。それからバスで車を取りに行き、初日の観光は終わった。セシルは140ポンドの駐車違反料金を払わされ、動揺を、俺はちょっぴり責任感を感じ辛かった。その夕方、オーストラリアで会ったノルウェー人の友達フレドリックを迎えに夕方空港に向かった。ジャックの親元の家に泊めてもらう事になり、その家族にお世話になってもらった。夜、四人でいろんな事を話し、楽しんだ。寝床は四人一部屋。文句を言える立場ではないが狭かった。フレドリックが床で、セシルとジャックと三人でベットを共有し、深夜は騒がしく過ぎていった。

明くる朝も晴天、心地よい一日は遠くから聞こえる騒がしい音楽によって始まった。エディンバラで聞いてはいたが、ブライトンはヒッピーとゲイの街。その日はブライトンの一年で最も大きなパレード、ゲイパレードが開催されていた。大通りに向かうと、そこには大行列。街中が色とりどりに飾られていて、いろんな音楽があちこちから聞こえる。何百というオカマさんやレズビアン達が派手な衣装に身を纏い、大名行列のように通りを歩き、バスからパトカーまで仮装され、パレードは数時間と続いた。その後ジャックの友達に会い一緒に公園でビールを交わした。夜はみんなでパブに向かい、一日が過ぎて行った。

次の日も晴天。ブライトンの天候は他の場所と比べてもなかなか安定していて過ごしやすい。皆、疲れが溜まっていたせいか、この日はまったく外に出る事なく、ジャックの家の庭で一日のんびりと過ごした。

晴天から始まった次の日はビーチに向かった。泳ぎに行くつもりだったが、ビールを片手に心地よかった昼時は過ぎ、曇り空が海からやって来た。風も強くなり、冷気が肌を突抜ける。セシルとジャックが車の移動と、仕事の話で街に出て行った。俺とフレドリック二人で帰りを待っていたが、風が冷たい。凍えながら待つのも厳しく、パブに入る。二時間ほど経った後、二人が帰ってき俺らに動物のコスチュームをプレゼントしてくれた。俺は猿、フレドリックはデビル、セシルとジャックは虎だった。早速、着替えると温かかった。コスチュームをきたまま街に向かうと、回りの人たちからおもしろがられ、手を振ってきたり、挨拶された。そのまま街を少し観光して、ジャックの友達の家に向かった。それからその友達に晩飯をごちそうしてもらった。鶏の丸焼き四匹に、ローストベジ、うまかった。夜中の三時くらいまで騒ぎ立てて、音楽や、ハンドクラフト、ヒッピーについて語り合った。

次の日、ジョンが俺らを訪ねに来て、またビーチへと向かった。その日も天候には恵まれず、曇り。数時間ビーチで時間を潰した後、街を観光。皆で映画ハッピーフィートを見て一日は過ぎて行った。